新府城本丸跡で歴史を感じる旅!
新府城 本丸跡の特徴
新府城本丸跡は広々とした史跡で、新しい発見が期待できます。
駐車場からのアクセスは、神社経由が縄張りを理解しやすいです。
武田巡りの旅において、重要な訪問先としておすすめです。
新府城の本丸跡になります。山の頂上付近を平に加工したのでしょうか、かなりの規模であったことが伺えます。
新府城入口から階段を登った先に本丸があります。本丸はかなり広い曲輪です。神社や後世に立てられた慰霊碑などはありますが、当時の遺構は特に残ってはいません。その中で城内を見通せないようにするための蔀の構と呼ばれる遺構は特色のあるものですが、正直あまりよくわかりませんでした。
JR新府駅から甲府方面右手に15分位歩いた平山城、神社の険しい階段登ると直ぐ。甲府市から4駅、少し離れているので補給が難しいと思いましたが武田氏滅亡の僅か数ヶ月後織田信長も本能寺に斃れます。
本丸のほぼ中央に当たるのでしょうか?普代奉行の名前などの記録があります。
何もない。デジタル標高データで見ると三の丸も含めて三段の平坦担っているのがわかる。
かなり広い場所でまだ発掘している場所もあり、新しい発見がこれからもあるかも。
駐車場から東出方面の北側から行き神社から降りて来るコースの方が縄張りが分かりやすいかも。草が生い茂っている時期は、見学者が少ないのか蜘蛛やヘビがあちこちにいました。
武田巡りの旅の目的の一つです。想像より大きな縄張りでちゃんと機能すれば攻めにくかったであろうと体感できたので来てみて良かったです。駐車場から入口の階段までの道のりが車通りが多いので気をつけてください。また、階段は雰囲気が良いのですが苔むしていて急勾配なので雨の日は厳しいかと思われます。数メートル先の坂から行くことをオススメします。
| 名前 |
新府城 本丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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新府城本丸跡は、武田氏最後の当主である 武田勝頼 が1581年(天正9年)に築いた新府城の中心部で、城内で最も高い位置に置かれた主要郭であり、翌1582年の織田・徳川連合軍の侵攻に際して勝頼が自ら城に火を放って退去したことから武田氏終焉の象徴的な場所となっています。本丸は東西約90メートル・南北約120メートルの広さを持ち、周囲には土塁や堀が巡らされ、石垣をほとんど用いず七里岩台地の地形と土木技術を巧みに活かした武田流築城術の集大成と評価される構造が残されています。また、新府城築城には後に上田城を築く 真田昌幸 が普請奉行として関わったとする説もあり、武田氏のみならず真田氏の歴史を語る上でも注目される城です。現在の本丸跡には新府藤武神社が鎮座し、武田勝頼公霊社や長篠合戦戦没将士を祀る塚などが点在し、歴史と信仰が息づく空間を形成しています。さらに本丸からは甲府盆地、八ヶ岳、南アルプス、そして条件が良ければ富士山まで望むことができ、戦国武将たちが見たであろう雄大な景色を体感できることから、続日本100名城 に選ばれた新府城の中でも歴史的価値と眺望の魅力を兼ね備えた最大の見どころとなっています。