官幣大社の神秘、豊日別宮。
豊日別神社(草場神社)の特徴
由緒ある神社で、格式が高い官幣大社です。
御祭神の豊日別命や罔象女命を祀っています。
大きな実をつける銀杏の木が境内にあります。
大きな実の銀杏の木がある。境内は何時も綺麗です。
由緒ある神社。
この神社は伊勢神宮より格式が高いそうです。ご神木がヤバい、、。
初めての参拝でした。行橋に食事に来たのでナビで探して行きました。ナビでは到着出来ず、付近をしばらく探してようやく鳥居を見つけて入りました。社務所も無く、御朱印は当然ありません。拝殿の側の板に稲穂が飾ってあり。『頭たれ 願いかなうよ 豊日分』と書いて有りました。周りには田んぼも多く有り五穀豊穣を祈る神社なんだと思わされました。『官幣大神宮 豊日別宮の歴史は古く欽明天皇の即位の年五百三十二年とされていますこの由緒ある豊日別宮にご参拝して お賽銭やお供え物され 誠にありがとうございます豊日別宮司』と書いた紙が板に張り付けられて、お賽銭箱の後ろに有ります。宮司さんが居られたら御朱印も書いて貰えるのかとも思いながら、賽銭を入れてお参りしました。
豊日別宮とよひわけぐう福岡県行橋市13祭神豊日別命(とよひわけのみこと)豊は豊国(豊前・豊後)の意で豊国自体を神とみたか?又伝承では豊日別命=猿田彦神とあり猿田彦も祀れています。
昔、八幡宇佐宮の放生会では、香春町採銅所の豊比咩命神社(古宮八幡宮)清祀殿にて銅鏡を鋳造し、和間浜の浮殿(和間神社)に奉納した。途中、官幣を奉じて立ち寄ったのが当社であるという。今では行われていない。豊日別の名は筑紫嶋の四面神として、古事記に1箇所だけ出てくる。温泉(うんぜん)神社では四面神の一面であったこの神を、当社は単独に祀る。豊日別は英彦山高住神社に祀る彦山豊前坊であり、大行事権現とされた高木神であり、その化身たる猿田彦大神である。続群書類従に曰く。大行事権現は。猿田彦神にて御す也。又は衢灵神とも號す。此の猿田彦と申すは。十禅師権現母方の祖父御前。高皇産靈命皇孫降臨の時。三百六十種の御寳物を譲り玉ひけるも。此の國には地祇部類邪悪の神達多く御す故に。路次の間何にも心苦く思し召し。鬼王の如くなる威徳無双の神躰に化し。面を赤く鼻長く。左右の目は日月の如く耀。おそろしげなる形にて。鉾つきて。十禅師権現の天降り玉ふ路次に先立ちて。異相斯くの如き人と御す由告げ来たれば。怖れ畏み有る処に。天鈿女命を出だし。我行きて其の子細を尋ねんとて。彼の在所に至りて。元は何なる人と問ひ玉ふに。答て云ふ。我をば猿田彦と號す。實には高皇産靈命也。皇孫降臨路次を守護の為。此の鉾を以て邪鬼の者を拂ひ退け。諸道の印を結びて道路を鎭する故に。我が跡に付て神幸有らば。もろもろの怖れ有るべからずと畏み示し玉ふ。鈿女命此の事を奏し玉ふに。諸神大きに悦びて。成無異無事降臨玉ふ。大行事権現は。猿田彦の神にて御す故に。此の鎭道の神の御形状傳か。今の王舞有之。此の王の舞と師子との不通を神幸無事也。大行事は十禅師を擁護す。今の社稷も十禅師に向かひ玉ふ。凡そ山王の惣後見は。一切の行事をば。此の大行事権現の成し玉ふ事也。山王勧請の所には。何くにも又此の神を奉斎すへき事也。されば鹽下の惣社にも。惠心先德自ら猿の行事の神躰を奉造り崇め制玉へり是を彌行事と號く。十禅師権現というのは瓊々杵尊の事。皇孫の天降りは、古事記・日本書紀ともに高皇産靈(たかみむすび)神が指揮しており、途中に現れる猿田彦大神についても共通。但し猿田彦大神=高皇産靈命とは記紀にない。この説を当社の社伝と比べてみると、豊日別が高皇産靈と入れ替わっている。ように見えるが、豊日別=大行事権現=高皇産靈なら同じ話になろう。創設者の大伴連(おおとものむらじ)牟彌奈里(むやなり)は、唐津市鏡山と呼子に名を遺す大伴狭手彦と松浦佐用姫の子であるという。また、厩戸皇子すなわち聖徳太子が587年に社殿を造営させたとも。
位は高く、官幣大社です。
豊日別(とよひわけ、とよびわけ)は豊国(豊前・豊後)の国魂である。社伝では、欽明天皇2年、筑紫の日別大神の神官・大伴連牟彌奈里に「吾は猿田彦神なり」と神託があり、猿田彦は天照大神の分神であり、 豊日別大神を本宮とし、猿田彦を別宮とするとの記述がある。ここから、豊日別は猿田彦と同一神格と見られている。
トヨビワケカミ。
名前 |
豊日別神社(草場神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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御祭神 豊日別命 罔象女命 高龗神境内社 弁財天社 稲荷社宇佐神宮の放生会とも関わりがある神社です。