庚申塔の三猿、安穏な願い。
とんび坂の庚申塔の特徴
車通りの激しい道沿いに位置し、アクセスが便利です。
台座に見ざる言わざる聞かざるの三猿が彫られています。
左側面には歴史的な文字が刻まれた庚申塔です。
台座には見ざる言わざる聞かざるの三猿。白壁に囲まれて裏は見えません。
左側面「武蔵国足立郡内野下村正徳二羊歳二月十五日講衆都合二十七人謹白」右側面「奉彫刻庚申供養塔現世安穏後生善處攸」案内板によると石橋供養塔が周辺にあるはずだが、見当たらない。移動されたか、逸失したか。造立趣旨は、庚申供養と二世安穏祈願(現世が安穏であります様に、来世で天道に転生します様に。)。正徳二年銘。唐破風屋根付型。
周辺に結構たくさんある庚申塔の中でもかなり立派なものです。旧川越街道(与野、大宮から川越)と旧秋葉街道へぶつかる道(清河寺から上尾)の追分にあります。とんび坂とは川越街道の鴨川に架かる並木橋から続く坂(大宮台地の指扇支台に登る)の名前です。説明文には…大宮・川越道歴史散歩コースとんび坂ここは三橋5丁目です鴨川から続くこの坂を「鳶坂」と言い慣わし、当地一帯を「鳶貝土」と呼んでいます。庚申塔前の道は、北は青葉園を過ぎ、清河寺を経て上尾・平方方面に続く昔からの道です。また、西に進むと水判土の観音様、東は鴨川を越え大宮や与野への道となります。ここには、江戸時代中期の正徳5年(1715)2月の庚申塔と江戸時代後期の安永6年(1777)に建てた前渡石橋供養塔が残されています。庚申塔は内野下村(現・三橋)の27人が建てた高さ221cmの立派なものです。石橋供養塔は中央で2つに折れているのが惜しまれますが、「右 あきはみち 左 かわごへミち」とあり道しるべになっています。江戸時代末の物価高騰や負担の増大に苦しめられた農民が一揆を起こしたのは、慶応2年(1866)6月13日のことです。名栗村で発生した一揆は、17日には当地に押し寄せ慈眼寺境内で気勢をあげ、この道を大宮方面に向かいますが、当地付近で幕府の関東取締役と対峙、結局、中心人物が取り押さえられ一揆は終結します。世直しの風が通り過ぎていった大きな出来事でした。さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課。
| 名前 |
とんび坂の庚申塔 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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結構車通りの激しい道沿いにある庚申塔。