静寂に響く弥勒仏の声。
宇佐宮 大楽寺の特徴
九州西国霊場の四番札所として、歴史深い大楽寺です。
弥勒仏の国宝を拝むことができる貴重なお寺です。
整備の行き届いた境内は、静かでのんびりとした雰囲気です。
綺麗に整備された境内です。入り口前に駐車場あります。3種の御朱印と可愛い絵入りもあります。
昔?は文化財とお灸のお寺!私が顔面神経痛になった時にお灸でお世話になりました、あれからおおよそ30年位になりますが、当時の御住職はご健在でしょうか?ありがとうございました。
九州西国霊場 四番札所 高野山真言宗 如意輪観音菩薩。
2019/2/17来訪。宇佐神宮ゆかりのお寺。高野山真言宗後醍醐天皇の勅願寺として、道密上人を開山、大宮司到津公連を開基として創建される。
宇佐七福神霊場2020.9.6参拝 御朱印頂きました。ここで宇佐七福神霊場の納経帳がありましたので、頂きました。前回訪れた時には無かった可愛らしい、仏様の御朱印が有りました!九州西国霊場、九州八十八ヶ所霊場、宇佐七福神霊場の3種類です。九州八十八ヶ所霊場2020.9.6参拝 御朱印頂きました。九州西国霊場4番2018.11.11参拝 御朱印頂きました。とても綺麗で気持ちが良いです。御朱印は本堂入って左側の受付です。寺務の方が居ない時はインターホーンを押したら対応してくれるそうです。
九州西国霊場の4番札所、百八観音霊場第七十八番札所のお寺です。平重盛の守り本尊の如意輪観音像。宇佐八幡宮到津家の菩提寺です。山門の彫刻は立派ですし、七百年前の鎌倉時代からの立派な鐘です。拝観料を払っても本堂の木造弥勒仏三尊像等は是非観るべきです。奥様に丁寧に説明して頂きました。北九州の到津とも縁があるとの事です。丁度、福岡市の博物館の方々も訪ねてこられました。二度目の参拝では九州八十八ヶ所百八霊場の御朱印を頂きました。二度目という事で本堂の仏像の絵葉書を頂きました。
平成28年9月22日参拝九州西国三十三観音霊場 第四番札所九州八十八ヶ所百八霊場 第22番札所御朱印あり本尊:弥勒仏座像(観音霊場:如意輪観音)宗派:高野山真言宗令和元年8月12日再参拝宇佐七福神霊場(布袋尊)の御朱印を頂きました。
歴史あるお寺です。
ご本尊は弥勒仏国宝 宇佐神宮の近くにあります。大きくはありませんが心静かになれるお寺です。宇佐神宮とも関わりの深い古刹で国の重要文化財の仏像がいくつもあります。最近は 絵を交えた御朱印も戴けるとのこと。
名前 |
宇佐宮 大楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0978-37-0356 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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1983年6月20日 宇佐の文化(16号)よみがえる「中世の宇佐」②より57年の夏、南宇佐地区所在の大楽寺境内において、文化財収蔵庫の建設に伴う発掘調査が行われました。寺の歴史は「大楽寺文書」に明らかなところですが、今回の調査で多くの考古学的資料を得ることができました。文献資料と考古資料を合わせ持つ遺跡の例は少なく、宇佐地方の歴史研究を進める上で重要な遺跡であることが確認されました。大楽寺文書に見る寺の変遷大楽寺は、宇佐小学校が立地する台地の南崖下にあり、谷の反対側に鎮座する宇佐神宮と約300mの距離を置いています。現在、宗派は真言宗であり、重要文化財に指定されている木造仏をはじめ多くの文化財が保存されています。なかでも「大楽寺文書」は寺の変遷をさぐる上で貴重なものです。それによると次のようなことが知られます八幡宇佐宮大楽寺は、元弘3年(1333年)宇佐宮大宮司到津公連が勅許を得て建立し、住持管領職には、奈良西大寺より道蜜上人を請定しています。寺敷地は月瀬、北頰、乙松の各名内にあり、創建当初から現所在地あるいはその付近に寺が造立されていたことが明らかです。翌年には後醍醐天皇の勅願寺たるべきの官宣旨を給わっています。その後の堂宇の変遷をみると、まず「宗圓覚書」に「護摩堂應永廿二年卯月十三年立、應永廿五年五月廿二日造畢。」とあり、護摩堂造立の時期が判明します。しかし、現在この堂宇は存在せず、その建立の位置などについては全く不明です。文明4年(1472年)の「宇佐宮大楽寺仏殿修理目録并勧進帳」によれば、「寺領一円不知行により、星霜を積んで大破なり、本尊雨露に侵されたもう躰に嘆かざるべからず。」とあります。本堂の荒廃が顕著であるため、堂宇修復の計画がなされたわけですが、実際は執行されたか否かについては全く手がかりがありません。発掘調査の概要ところで、香川光夫先生は境内地から、「大楽寺」銘の軒平瓦が出土することを、早くから指摘されました。そしてこの瓦の時期はそれが葺かれた堂宇について新たな問題が提起され、考古学的な調査がのぞまれていました。昭和57年度大楽寺収蔵庫建設事業に伴い、本堂の北東の建設予定地(梅林)を、試掘調査しました。その結果瓦片、土器片のぎっしりとつまった溝状遺構が検出されたため、本格的な発掘調査を実施しました。約100平方メートルの調査区において、溝七条、隅丸方形竪穴遺構一基が検出され、また動かされた礎石も一個確認されています。溝は地形的制約によるもので排水機能を有するものと考えられます。特に、遺物のつまった溝は東西に延び、巾2m、深さ0.4mあり、溝としての機能を喪失した時に、瓦溜として一括して埋められたものでしょう。隅丸方形竪穴遺構は一辺約2.1m、深さ0.7mあり、西側に小溝が2条、南側に1条あり、一時的に水を貯水し、徐々に排水する施設と考えられます。出土した遺物としては、多量の瓦と少量の土師器皿、陶器の摺鉢、瓦器埦などがあげられます。そして最も注目すべきものは、「応永」「 吉日」「敬白」とへら書きされた文字瓦が発見され、護摩堂に葺かれた瓦の存在が判明しました。軒平瓦は3種類、軒丸瓦は5種類確認され、「大楽寺」銘軒平瓦と三巴文軒丸瓦とのセット関係が判明しました。この瓦は護摩堂に葺かれたもので、護摩堂は収蔵庫建設予定地に本来建立されていたと考えられます。今回の調査で土塁の築造方法やその時期をさぐるため、東側土塁の一部も試掘しました。その結果、人為的に土盛りしたもので、室町時代の瓦が若干出土したことから、中世末から近世初頭にかけて築造されたものと考えられます。また、土塁の内側に、溝がめぐることも確認されました。================1991年8月16日 宇佐の文化(32号) 宇佐神宮周辺の寺でら②より宇佐で文化財の寺というと、この大楽寺が有名です。前号で紹介した禅宗の円通寺の南の方にあります。宇佐宮大楽寺といういかめしい名前が示すように、到津大宮司家の菩提寺で、宇佐では格式の高い寺の一つです。現在の宗派は真言宗です。この寺には有名な国指定の重要文化財の弥勒菩薩像をはじめ、数々の仏像や絵画、文書など多くの文化財があります。今から660年ばかり前の元弘3年(1333年)大宮司到津公連によって、後醍醐天皇の勅願寺として建てられました。奈良の西大寺から道蜜上人を招いて開山としています。大宮司到津公連の本拠地は、北九州市小倉の到津にあったのに、なぜ、宇佐に菩提寺の大楽寺を建てたのか。鎌倉幕府を倒して、後醍醐天皇が新しい政治を始めようとしている、その時に、勅願寺を宇佐に建て、奈良の西大寺から道蜜上人を招いた大宮司の政治力はどんなものだったのか、などの疑問をふくんだ寺でもあります。時代は、NHKの大河ドラマの「太平記」の時代です。全国が南朝と北朝とにわかれて争う時代がはじまりますから、宇佐神宮の神官さんたちのなかも、南朝方と北朝方にわかれて勢力争いがあっていたにちがいありません。寺の裏山には代々の到津家の墓がならんでいます。宮司さんの墓が寺の裏山にあるのはいまの時代では理解しにくいことですが、江戸時代には宮司さんも大楽寺の檀家であったのです。それだけではありません。この寺は宇佐神宮の社僧や弥勒寺(現在の相撲場付近にあった宇佐神宮の神宮寺で奈良時代に創建された古い寺)の寺僧の葬式も行っていた「おくり坊」でもあったのです。(現在でも葬式をしない寺がありますが、弥勒寺もそのような寺の一であったのです。葬式がお寺の大切な仕事の一つになったのは江戸時代になってからです。)