友永丈市大尉の生誕地で歴史に触れる。
友永丈市中佐生誕地碑の特徴
友永丈市大尉の生誕地、戦歴に思いを馳せる場所です。
空母飛龍の飛行隊長の生家跡がある歴史的な碑です。
澤地久枝の著書を読んで訪れると、感慨深い体験ができます。
飛龍飛行隊長友永大尉生誕の地です是非、澤地久枝さんの著書「滄海よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死 1」を読まれてから訪れることをお勧めします現地で碑を見ると、色々な思いがこみ上げてきますね…
旧大日本帝国海軍友永丈市大尉生誕の地。太平洋戦争時のミッドウェー海戦では航空母艦空母飛龍の飛行隊長として九七式艦攻で参戦。米機動部隊。米17任務部隊航空母艦のヨークタウン空母を攻撃。同空母はその後沈没。という戦果をあげたそうです。
空母「飛龍」の飛行隊長で、ミッドウェー海戦で戦死された「友永丈市」隊長の生家跡を示す石碑です。なぜか本来の名前と違い、「友永丈一」と刻まれています。なお、別府市内の某墓地には彼の墓もあります。
名前 |
友永丈市中佐生誕地碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.7 |
周辺のオススメ

記念碑の「友永丈一」は、友永丈市中佐の甥の名前です。多分、間違いがあったと思われます。友永大尉がミッドウェーで戦死された時に誕生されたので丈一と名付けられたそうです。私の中学時代の体育の先生でした。