新羅の女神と共に、赤い玉のある場所。
赤留比賣命神社(三十歩社)の特徴
国道25号線沿い、平野公園の一角にあります。
新羅から渡来した女神を祀る歴史ある神社です。
三十歩社という俗称で地元から親しまれています。
赤留比売命神社。式内社。古事記や日本書紀に記載される朝鮮半島から渡来した神である赤留比売命を祀る。現在は杭全神社の境外社となっているがその昔は住吉大社の境外末社であった。本殿裏の土塁やその背後にある池などが平野郷環濠の名残らしい。本殿や摂社、全てが西に向いている。何か理由でもあるのだろうか?
赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)。大阪市平野区平野東。式内社(小)。杭全神社(くまたじんじゃ)飛地境内社。主祭神:赤留比売命。赤留比売命の原態は巫女すなわち「祀る者」であり、「祀られる神」は天日鉾である。巫女である「祀る者」が「祀られる者」に昇華し祭神になった。資料によると、創建は不詳。「三十歩神社」と称されることが多いが、杭全神社の飛地境内社であり杭全神社では「赤留比売命神社」と称している。平野公園内に鎮座し、もとは住吉神社末社5社の1であった。俗称の三十歩(さんじゅうぶ)神社は応永年間(1394~1428)干ばつのとき法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。俗説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きちがえたためとも伝え、耳の神として信仰を集めた。またここは、秀吉の正妻北政所の所領であったときの会所跡ともいう。古来祈雨の神とされ、住吉大社の末社となつて、6月30日の同社荒和大祓(例祭)に当つて、当地の坂上七名家よ9斎女を出し、桔梗の造花を捧げる慣例となつていた。この桔梗の献花は現在に至るまで継承されている。比売許曽神社が外客接伴のために重きをなす以前は、住吉社または喜連の地で酒を給したと考えられ、中臣須牟地神社で醸した酒は、赤留比売命神に献る形で外客に給せられていた。大正3年12月22日郷社杭全神社に合併飛地境内末社となる。とあります。
「古事記」「日本書紀」に記された新羅から来た阿加流比売神(アカルヒメノカミ)を祀る神社。現在は杭全神社の末社ですが、こちらが式内社。難波の比売碁曽の社に坐すと書かれた“比売碁曽”が、鶴橋にある「比売碁曽神社」のこととするのが定説のようだが、この「赤留比賣命神社」の方が雰囲気的にピッタリな気がする。
国道25号線の平野図書館から少し歩いて行くと平野公園が有り、その一角にある神社。久しぶりに散歩にやってきました。写真アップしておきますので、お越しの際の参考にして頂けたら幸いです。
「住吉大社神代記」に住吉大神の子神として名がある赤留比売命神 短編的なおとぎ話であるが故に正体不明そこで私の得意技 妄想的推理を働かせてみた😇「古事記」では新羅の夫 天之日矛のDVにより祖国 日本へ逃れたようになっていますが…キーワードは「赤い玉」赤い玉=「水銀朱」「朱丹」のような辰砂をもって新羅との交易を擬人化ならぬ"擬神化"したのでは ないでしょうか🤔後世 末代まで残る記述書に日本の汚点は書けないもの交易に日本の不利益が生じ白紙に戻すところを新羅の担当者 天之日矛が来日 交渉したのでは🤔交易の神=海神=龍王神=赤留比売命神読み解きました👍🤣バンザ〜イ‼️🤣バンザ〜イ‼️🎉
大阪府大阪市平野区の神社。式内社。三十歩神社とも云い、三十歩町の地名による。主祭神=赤留比賣命。新羅国・アメノヒボコの妻。赤留比賣命、出生は次の通り。太陽神と身分の低い者(賤女)の子とされる。新羅国にて、沼で女が赤い玉を産んだが、ある男が貰い受けたあと、アメノヒボコに会った際、山へ牛を運んで食べると勘違い、釈明の際、赤い玉を差し出した。アメノヒボコが持ち帰ると、赤い玉は美しい娘になった。アメノヒボコは娘を正妻としたが、妻と喧嘩し罵ったところ、親の国に帰ると難波へ逃げた。比賣許曾神社に鎮まるとされるが、祭神は下照姫命であり、阿加流比売神ではないとされている。摂津国風土記では、姫嶋神社(大阪市西淀川区姫島町)とともに、当社を該当に挙げる。なお、比売許曽命は天津彦根命の娘と伝える系図がある。アメノヒボコ関連社。古事記ではアメノヒボコ、日本書紀では都怒我阿羅斯等と示される。アメノヒボコは、難波に入られず、応神天皇記では、但馬国に停泊、そのまま留まり、多遅摩之俣尾の娘・前津見を娶り、多遅摩母呂須玖を産んだ。玉津宝(8種)も。関連として、兵庫県豊岡市出石町の出石神社(アメノヒボコ)、大阪府大阪市東成区の比賣許曾神社(下照比売命)、大阪府大阪市西淀川区の姫島神社(アカルヒメ)を挙げたい。現地は、JR平野駅の東南1Km。駐車場がない。周辺は民家。大阪市消防局平野消防署前に有料駐車場があり、最も近いので使いたい。
平野区の平野公園(松山公園とも呼ばれている。)内にある有意書有る神社。5月にはこの公園を中心に赤留姫(あかるひめ)祭りが有るが、コロナの影響でここ2年は行われていない。写真アップしておきますので、お越しの際の参考にして頂けたら幸いです。
朝鮮半島の新羅の国から渡来した女神で古代の平野郷集落の東側に有ります。境内はとても静かだが何か得たいの知れないパワーを感じ取れる。現在は杭全神社の末社だが歴史的な重みは杭全神社以上にこの神社の方が強く感じてしまう。(根拠はないですが?)隣接する平野郷の史跡が多く残る平野公園の影響なのか漂う空気が何故か落ち着くのは気のせいか?平野郷の出入口でお旅所にもなっていて何一つ根拠がないが兎に角パワースポットには違いないと思う‼️
延喜式神名帳に記載される古社、新羅から渡来したと伝わる女神「赤留比売命」が祀られています、又此の神社には「三十歩神社」(さんじゅうぶじんじゃ)という俗称がある、地元の方々には三十歩神社の方が通りが良いらしい、此の辺りの地名もかつては三十歩町であった、祭神は赤留比売命、阿加流比売神、比売許曽神、明治30年に天満宮、琴平宮が境内に遷座、大正3年に杭全神社の境外末社となった。
| 名前 |
赤留比賣命神社(三十歩社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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2025.10.23谷町線平野駅~徒歩20分程、創建年不詳、アカルヒメノミコトを祀った神社が有ります。夫の天之日芽から日本に逃げ帰り、新天地で人生をやり直したという伝説の神様です。西淀川の姫島神社が有名ですが、ここはそのまんま、"赤留比賣命”神社です。明るくて艶のある美しい女性、日の出の太陽を表す赤いメノオの玉の化身と言う説がある様に、赤留比賣命の様になりたいと‥女性が”再起復活"を掛けて心から祈願します。ここは別名三十歩神社と呼ばれる。干ばつの時、法華経三十部を詠み、雨を降らせたと言う、いやいや境内が三十町歩の広さを三十歩に聞き間違えた事に発したとか言う説、何れにしても鳥居の横に手水舎が有り、三十歩大明神の文字が見えました。