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名前 |
堀詰橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
江戸時代から続く橋。南東詰に「紀州藩 表千家屋敷址碑」「堀詰橋跡」の碑が、南西詰には公衆トイレがあります。以下、「堀詰橋跡」碑より引用堀詰橋は三木町堀詰西側の小路北端で堀川に架かる橋で、表橋とも呼ばれ、現在の堀詰橋より約二十五メートル東にあった。三木町堀詰は和歌山城下広瀬のうちの町人町で、天正年間(十六世紀末)に城代桑山氏によって最も早く城下の町並み整備が行われた地域と伝えられる。堀川は和歌川水運と紀ノ川水運を結びつけるために開削され、この付近は三方出合と呼ばれ水運上重要な土地であった。