満開の桜と二の丸跡。
二の丸跡の特徴
くの字に曲がった二の丸大手跡が入り口となっています。
古来のお城の方々が利用した井戸が現存しています。
瀬戸大橋の概要パネルを展示している歴史的な場所です。
二の丸跡は、本丸の東側に位置する丸亀城の主要な曲輪の一つです。標高約66mの亀山山頂にある本丸より一段低い場所に設けられ、その下を三の丸が取り囲む構造となっていました。三の丸からさらに上へ進むと二の丸、そしてその先に本丸へと至る配置で、山頂に向かって段階的に高くなる丸亀城の縄張りを構成しています。見返り坂を上って三の丸に入り、さらに石垣に沿って進むと二の丸へ到達します。二の丸は本丸を取り巻くように配置された曲輪で、周囲を石垣で固めることで、本丸への侵入を防ぐ役割を担っていました。現在は広場として整備され、桜の季節には花見を楽しめる場所となっていますが、周囲の石垣や櫓跡などに目を向けると、かつて城の防御を担った空間であったことが分かります。二の丸跡で特に目を引くのが、中央付近に残る二の丸井戸です。現在確認されている深さは30m以上に及び、江戸時代の絵図には「三十六間」と記されていることから、当時は約65mの深さがあったと考えられています。「日本一深い井戸」ともいわれるこの井戸は、山上の城内で水を確保するために設けられたもので、籠城の際にも欠かせない重要な施設でした。これほど深く掘り下げられていることからも、山上に築かれた丸亀城にとって、水の確保がいかに重要だったかがうかがえます。二の丸周辺の石垣には、城の改修の痕跡も残されています。二の丸南側には、もともと隅角部だった石垣を後から外側へ拡張したとみられる箇所があり、よく見ると以前の算木積みの部分を確認できます。拡張部分では、先端部を割って石を詰めるなどして境目を目立たせない工夫も見られます。こうした痕跡からは、丸亀城の石垣が一度に完成したものではなく、城の改修に合わせて手が加えられてきたことが分かります。さらに二の丸北側には、多聞櫓が設けられていた「北多聞跡」があります。発掘調査によって多聞櫓の石垣が確認されており、二の丸井戸の周辺からもかつての城内施設に関係する遺構が見つかっています。地表から見える石垣だけでなく、地下にも江戸時代の城郭遺構が残されていることは、二の丸跡の重要な特徴です。二の丸跡からさらに上へ進むと本丸があり、その頂には現存天守が建っています。三の丸、二の丸、本丸と段階的に曲輪を重ねることで、亀山の高低差を防御に生かした丸亀城の縄張りが形づくられていました。二の丸跡では、深い井戸や石垣の改修痕跡、多聞櫓跡などを通して、華やかな天守だけでは分からない、城を維持し守るための施設が集められていたことを感じ取ることができます。
春は桜が咲きます。
ちょうど桜の時期に行ったので満開になっていました。
本丸の下側。建物が何もなく、真ん中には水深30メートルもある日本一深い井戸がある。
くの字に曲がった二の丸大手跡を抜けると二の丸に入ります。櫓跡や井戸などの史跡があります。
くの字に曲がった二の丸大手跡を抜けると二の丸に入ります。櫓跡や井戸などの史跡があります。
古来お城の方々が水を使うのに利用していた井戸があるのと瀬戸大橋が開通した当時に設置された瀬戸大橋の概要パネルが展示されているだけで特に特別な展示品があるわけでは、ありません。ただ桜が咲く時期は見ごろの場所のひとつだと思いました。
| 名前 |
二の丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0877-22-0331 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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丸亀城の二の丸跡は、本丸の一段下に位置する曲輪です。現在は建物が残っておらず、広々とした空間になっていますが、かつては本丸を守る重要な場所として、櫓や門などが配置されていました。ここで特に興味深いのが、二の丸中央に残る二の丸井戸です。丸亀市によると、水深は30m以上あり、「日本一深い井戸といわれている」と紹介されています。建物だけでなく、こうした井戸も城を維持するためには欠かせない施設だったのでしょう。先ほどの二の丸大手虎口を抜けてここまで来ると、丸亀城が一気に攻め込まれないよう、三の丸、二の丸、本丸と段階的に守りを固めていたことが実感できます。今は静かな広場ですが、かつては櫓や門があり、城を守る人々が行き交っていた場所。何もないように見える空間だからこそ、当時ここにどんな建物があり、どんな人々が働いていたのかを想像しながら歩くのも面白いと思います。