組踊の創始者、玉城朝薫の墓。
玉城朝薫の墓の特徴
琉球独特の歌舞劇組踊の創始者の墓です。
経塚駅からのアクセスが良く、案内標識があります。
階段を登ると、歴史を感じさせる墓があります。
組踊の創始者の墓。トンネルの上にあります。亀甲墓の祖型で独特な形の墓とのこと。
駐車場無し。組踊りを創った玉城朝薫の(邊土名家之墓)です。経塚駅の方が近そうですが、浦添前田駅前に矢印看板があります。モノレールの線路下を700m歩き「前田トンネル」まで来ると階段があります。80段登るとトンネルの穴の真上に来ます。案内板と墓室内から出した石材が展示してあります。県内では、石製の柱と梁で天井を支える墓室を作る墓は珍しいそうです。
経塚駅の北東にあるトンネルを抜けると、左側の階段の所に案内標識がありますので、階段を登っていくと墓があります。
名前 |
玉城朝薫の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.urasoe.lg.jp/sites/urasoe-envmap/zeniki/bunkazai/syousai/tamagusuku.htm |
評価 |
3.8 |
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玉城朝薫(一六八四~一七三四)は琉球独特の歌舞劇「組踊」の創始者です。朝薫の家系は代々玉城間切の総地頭職をつとめていたことから玉城を名乗りましたが、子孫の代に選士名と家名が変わりました。朝薫は中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となり、この時に生み出された組踊は一七一九年に初めて首里城で演じられました。組踊は音楽・舞踊・所作・台詞で構成され、その創作には能や歌舞伎などの大和(日本)の芸能が影響したようですが、物語の内容は琉球の故事をもとにしています。朝薫の作った「二童敵討」「執心鐘入」「銘刘子』『女物狂”“孝行の巻」は、特に「朝薫の五番」と呼ばれ高く評価されています。組踊は二〇一〇年にユネスコの無形文化遺産リストに登録されました。この墓の内部は石を積んで壁や天井を組み上げており、天井は四本の柱で支えられています。墓庭の石積みは撥状に開くなど、石積みに曲線を多用しているのが特徴です。亀甲墓が成立していく十七世紀後半から十八世紀前半に造られたと考えられます。-案内板より-