武田勝頼公の落ちのびた地、歴史を感じる場所!
伝武田勝頼公墓所の特徴
武田勝頼公が生涯を終えた場所で、歴史の深さがあります。
武田勝頼が大崎玄蕃として仁淀に来たという伝説が魅力的です。
近くの武田神社との関連があり、訪れる価値があります。
伝説とはいえ、武田勝頼が大崎玄蕃と名を変えて仁淀へ来ていたとは夢があります😊 ちなみに、土佐山田町大法寺の武田神社にもお墓がありますよ😁
不思議ですね。近くには安徳天皇の埋葬地とかもあって。看板には、次のようにあります。武田.勝頼・三枝夫人の墓所祭神 玄蕃頭比古(げんばがしらひこ)神(武田勝頼=大崎玄蕃)・美津岐(みつぎ)大神(三枝夫人)由緒甲斐武田家、第二十代当主である武田勝頼(変名大崎玄蕃)と三枝夫人(変名美津岐夫人)夫婦の埋葬された墓の前に建立される鳴玉神社です。勝頼は慶長十四年(1609)八月二十五日に六十四歳で亡くなります。三枝夫人は元和二年(1616)十月十九日に亡くなって共に祀られています三枝夫人は歴史上出てこない夫人で、実子の正晴と共に落ち延びた事が系図書かれていて歴史の大きな謎です。大崎川井土居屋敷の柿木元に葬られた事が系図に記されております。四百年以上の時を経た現在、この柿の木は赤い実を稔らせます。勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大居士夫人の戒名 恵照院殿清月宗光大姉これらは系図に記されており、また長宗我部地検帳からも土居屋敷の場所が確認でき、土佐へ来た武田勝頼の伝承を物語る上で重要な史跡です。毎年・大崎八幡宮の秋祭(一一月十五日)と玄蕃祭(旧暦八月二十八日には御神幸(おなばれ)が行われ、御神体御輿に運ばれてきて祭祀が行われます。更に詳しい情報や周辺の観光情報は、下のQRコードで携帯からチェックできません。ガイド案内なども致します。お気軽にご連絡下さい。設置者 武田勝頼土佐の会、電話0889・20・2003
名前 |
伝武田勝頼公墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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武田勝頼公が落ちのびてここで生涯を終えたという面白い場所です、