陽がぬくい冬木の中で。
山頭火歌碑の特徴
山頭火ボタ山で感じる、温かな陽ざしの中の自然の美しさです。
冬木の枝に舞うボタン雪が作り出す幻想的な風景が印象的です。
緑平と呼ばれた木村氏とのつながりが感じられる、歴史的な価値があります。
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名前 |
山頭火歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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山頭火ボタ山ならんでゐる陽がぬくいふるかえるボタ山ボタン雪ふりしきる枝をさしのべてゐる冬木緑平子雀のあまえてゐる声のしてゐる朝月かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる雨ふる子のそばに親の雀がきてゐる緑平は、 「層雲」の同人であった木村緑平氏のこと。彼は、明治豊国鉱業所病院に勤務する医師で、雀の句を得意としていたそうです。彼は、昭和2年から10年間ほど、糸田の職員住宅に住み、山頭火を物心両面から支えた人物だそうです。山頭火は、15回にわたって彼の家を訪問して、たずね、酒を酌み交わしながら話をしたそうです。山頭火が散策したであろう鉱長坂の上に、句碑が建てられています。確証はありませんが、この場所、作家夢野久作の高橋ホトリが住んでいた場所の可能性があります。夢野久作が2歳の時に離縁され、夢野久作が、夢に見た母が、住んだかもしれない場所を訪ね歩いて訪問したら、なんと、山頭火の句碑の前の家だったのです。夢野久作がスケッチブックに残した14歳のスケッチ画には、糸田町周辺と思われるスケッチ画が遺されています。