小さな謎の島で歴史探訪。
伝田道間守墓(垂仁天皇陵湟内陪塚)の特徴
垂仁天皇陵の濠に浮かぶ小さな謎の島が魅力です。
お菓子の神様である田道間守のお墓が存在しています。
田道間守が常世国から持ち帰った非時香果の伝説があります。
別名宝来山古墳と呼ばれる垂仁天皇陵の中に在る小さな塚です。垂仁天皇稜は前方後円墳ですが、その墳墓の後方右隅の池の中に、天皇と一緒に眠るかの様に、小さな墳墓があり、田道間守の墓と呼ばれています。この方は垂仁天皇の命を受け不老不死の果物を探しに行きましたが、それを持ち帰った時天皇は既に亡くなられており、田道間守は悲しみの余り天皇に殉じたと言う伝承が伝えられています。この垂仁天皇陵の尼ケ辻から西の京の唐招提寺や薬師寺への道は、奈良市内の様に都市化が進んでいないまだ田園風景の残った静かな(ただすぐソバを近鉄橿原線の電車が頻繁に通り、土地の人の車は道を来ますが)散策道と言えます。彼の持ち帰ったのは「橘」の様でこれが改良されて今日の甘いミカンとなり、余り甘いもののなかった昔はこのミカンがお菓子の様に重宝された事から、田道間守(たじまもり)はお菓子の神様としても祀られています。難しい話よりお菓子の神様(!)って言えば小さい子も覚えるかな。
垂仁天皇陵の堀の中に小さな島があります。これが田道間守(たじまもり)のお墓です。近くにこのお墓を拝む為の遥拝所があり鳥居もあります田道間守は垂仁天皇に「常世国(とこよのくに)に非時香菓(ときじくのかくのみ)を取ってまいれ」と言われます翻訳すると「うみのかなたの理想の国にはずっと香りが香る実があるそうだから取ってきてね」と言われたわけです。田道間守は艱難辛苦の末インド辺りまで行って橘(たちばな)の苗木を日本に持って帰りますしかし、その苗を献上すべき垂仁天皇は崩御されていて、その苗を垂仁天皇陵にお供えして、田道間守はあまりのショックに亡くなってしまいます奈良時代になり聖武天皇が「橘は菓子の長上、人の好むところ」と言われので田道間守はお菓子の神様(菓祖神)と呼ばれています奇妙なトラベラーたかぼん。
垂仁天皇古墳の濠にある小さな謎の島。垂仁天皇の家来。お菓子の神様とか!?
垂仁天皇陵を囲む濠の中に直径10メートルくらいの小島がある。田道間守の墓である。たちばなや菓子などいろいろな説話がある彼だが、今は小島の中でただ沈黙しているだけだ。
小さな小島ですが、お菓子の神様である田道間守のお墓だそうです。
田道間守(たじまもり)は第11代垂仁天皇の命で、常世の国に、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)という橘(たちばな)の実を求めに行った方とのことです。後輩が先輩にお菓子か何かを買いに行かされた「使いっ走り」の様な人を想像します。
田道間守が出発から10年かけて常世国から「非時香果」を持ち帰ったとき、すでに垂仁天皇は亡くなっており、これを知って嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の陵墓を訪れ、泣き叫びながらそのまま絶命したという。
名前 |
伝田道間守墓(垂仁天皇陵湟内陪塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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小さくてかわいかったです。