春の桜と一夜城伝説。
益富城跡の特徴
豊臣秀吉の九州征伐で築かれた一夜城伝説の益富城跡、歴史の舞台として有名です。
筑前六端城の一つで、桝形虎口や石垣など中世の防衛遺構が良く残っています。
春の桜や秋の一夜城祭りの花火大会が開催され、季節ごとの景観が楽しめます。
全体はけっこう広く管理がしっかりしていてきれいです。遊歩道があったり石垣が残っていたり、見るところはあちこちにありますが、復元してあるものは無いので観光としては楽しめる場所ではないかもしれません。お城好きのかたにはおすすめです。本丸からの眺望はGoodでした。駐車場も10台程度ありました。
太閤の一夜城伝説の残る城跡。その折、太閤に従い築城に使用する戸板などの木材や白米を献上し古処山攻めを助けた民に褒美として与え現存する陣羽織は今や重要文化財。黒田家が筑前に入ったあとは後藤又兵衛が城主となり、又兵衛出奔後は黒田節で有名な母里太兵衛が城主となる。一国一城制で後に廃城。麓には母里太兵衛の墓や寒北斗の酒蔵がある。城跡は曲輪跡や空堀、縦畝堀などの当時の城の跡がよく残る。
桜がとてもきれいです。人も全く出会わず暖かくなったので小さなヘビには出会いましたが🐍嘉麻市が一望出来る場所のようです。ゴミがチラホラ気になりました。マナー守れない方は来ないで頂きたい。
戦国時代、1587年4月豊臣秀吉が一夜城と呼ばれる一夜にして城を構築したと伝えられる城跡です。農民に資材を調達させハリボテのお城であったとか。そのハリボテの城を再現したイベントが10月中旬から10月末迄再現されるそうです。
1430年代九州征伐の際、大内盛見が築城したと云われています。その後数回の争奪戦をへて、1560年頃には毛利元就が領有し、城番に杉忠重を配置する。更に戦国時代末期には、秋月氏の支城となる。安土桃山時代豊臣秀吉の九州遠征では、秀吉軍の修復による一夜城の伝説も生まれる。1587年頃は早川長政が城番となるが、関ヶ原合戦後は黒田長政の領内となり、その家臣後藤基次が城主となる。この時は黒田氏の筑前六端城のひとつに数えられていました。1606年には、基次の出奔により母里太兵衛が城主となりますが、1615年一国一城令により、廃城となります。城跡には、桝形虎口や横矢、空堀跡、曲輪跡、石垣跡など見ることができます。
人混み避けて、ゆっくり探索出来ました。
お城とか詳しいことはわかりませんが、景色が良いんです。田園風景、和みます。
豊臣秀吉にまつわる【一夜城】伝説が残る益富城跡、山はきれいに整備されている為ハイキング等に最高じゃない。😀山頂近くまで車で行くことも出来ますが、道狭有⚠️🅿️・🚾有り【令和2年の城の大きさは16m×22mの大きさ ❞一夜城❝(下の道より見て下さい)10月末マデ ライトアップ】18時ヨリ〜0時マデの点灯です。山城に綺麗に一夜城が浮かび上がっ見えます。🤩*スマホの為 写真撮影失敗😂
初めて寄ってみましたが良いところですね。紅葉の頃に行くときっと素敵でしょう。今は一夜城\(^_^)/が目立ちますよ⁉️
名前 |
益富城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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益富城(城山) 自然公園の中にある城跡、近くに駐車場があるので車で駐車場に停めて10分程度のところにあります。荒れた階段がありますが登るとこの辺りで一番眺望が良い展望所もありました。城跡の面積は広くて城主が何度も変わったことが書いてありました。