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名前 |
保田與重郞生家 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
保田與重郎は明治43年(1910)4月13日に桜井に生まれた。大規模な山林地主であり、裕福な家庭であった。現存する生家は1915年に建て替えられたものだが、大和桜井に特有の町家造りはそのままだという。木造2階建て総檜造り。のちに保田は京都の鳴滝に「身余堂」という凝った木造住宅をつくるが、それにはやはり贅をつくした桜井の生家への思いがあったからではないだろうか。しばらく前、思い立って桜井の保田與重郎生家をおとずれた。駅から商店街を抜けて歩くうちに、大和桜井の空気にふれて、ふとそこの角から恥じらいを見せながら保田が人なつこい顔を出すような気がしてならなかった。何十年間もある種の恐怖感を保田に抱き続けたわけだが、しだいに氷解するようだった。駅前の古い旅館に泊まり、興奮のあまり知人に電話した。かれは橋川文三の高弟。いま桜井の保田家そばにいるというと、えっと言ったきり絶句した。翌日は大神神社まで歩いた。野の細道を歩けばすぐの近さだ。なのにここには天皇や古典の世界が密度濃く埋まっている。関東から「保田與重郎」は出るはずもなかったなとつぶやきながら、歩いた。