堺市最大の木造建築、心安らぐ寺院。
本願寺堺別院(堺御坊)の特徴
阪堺電軌神明町から5分、木造建築の大きな寺院です。
親鸞聖人の銅像や蓮如上人を祀っています、由緒ある場所です。
本堂は堺市最大の木造建築、安心して写真撮影も可能です。
このエリアとしては大き目の寺院です。境内は広くて巨木もあり、参拝するのに適しています。
綺麗で心安らぐお寺です。
堺でひときわ大きい木造建築のお寺入り口付近には、堺県庁跡の石碑明治4年から10年間、ここに県庁が置かれてたとは全然知りませんでした!本堂は1825年に再建された時の物です。中は金ピカに光っており襖絵は、南蛮貿易盛んなころの絵柄が飾ってあります。本堂前には、蓮如上人と親鸞聖人の像が向かい合って立っていました。平日に行った為か人影は有りませんでした。
初めての訪問ですが、おもてなしの心がある良い寺院でした。
お若い住職さんにご対応頂きました.とても親切に、納骨堂のご説明をしてくださいました.どら焼を作っていらっしゃるとのことで、ビックリしました.
京都の西本願寺の堺別院です。本堂内に入ってお祈り出来ます。この別院周辺のお家も古いお家がポツポツあります。
堺市内 最大の木造建築物です。明治時代の初期の廃藩置県の立ち上がった時代に堺縣疔が置かれた場所。
『堺かるたを巡る vol.2/44』い:和泉河内大和あわせて堺県明治維新後、堺はひとつの独立した県になりました。県庁は堺奉行所跡(現在の車之町東2丁、櫛屋町東2丁周辺)に置かれ、初代県知事には小河一敏(おごうかずとし)が就任しました。明治4年(1871年)の廃藩置県後、堺県庁は市内で最大の木造建築である本願寺堺別院に移転します。そのため堺別院は境内地と建物を全て献上し、宿院町東2丁に代わりの寺を建てて移りました。当初の堺県は旧天領地だけでしたが、明治2年には河内県、狭山藩、同4年には伯太(はかた)、岸和田、吉見、丹南4県を、同9年には奈良県を合併して近畿地方でも有数の大きな県になりました。広大な県域を有し、独自の県政を行った堺県でしたが、政府の大阪府域を拡大する方針のために、明治14年(1881年)1月に県域を大阪府に併合されて、その歴史に幕を降ろしました。堺県の廃止後、境内地と建物は浄土真宗本願寺派へ返還され、現在に至っています。(出典:堺市HP)u003cview pointu003e◇本願寺 堺別院(堺市有形文化財)阪堺線神明町電停から徒歩4分南海線七道駅から徒歩17分。
大きな寺院。本堂は開放されている事が多いので参拝されてみてはいかが?手水は張っておられない。
名前 |
本願寺堺別院(堺御坊) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-232-4417 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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阪堺電軌の神明町から歩いて5分位、細い路地の先に忽然と現れます。本堂の欄間の彫り物に目を奪われました。御朱印は有りませんがオリジナルのスタンプが用意されています。