藤と歴史を感じる場所。
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江上・八院合戦関連【解説文転載】(一部改)慶長5年(1600年)10月に当地で起こった、立花・鍋島両軍の戦い(八院合戦)の戦死者や犠牲になった村民たちの霊を弔うため建立されたとの伝承がある。以前は揚田北の墓地にあったが、昭和59年(1984年)現在の位置に移った。
名前 |
揚田地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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藤も綺麗で地元の方々に大切にされて来た所の様です。目立ちはしませんが、道沿いで行きやすいです。以下引用させて頂きました。揚田の地蔵〒830-0214福岡県久留米市城島町江上本ここんにきゃ、ほんにようお地蔵さんば祀っとるもんの、そのなかでんこの揚田んお地蔵さんが、一番霊験の有難かち言うてお参りする人ん多かばの、いつ頃からお祀りしたじやい知らんばってん、久留米ん七木地蔵さんの弟ち言う人もあるばの、しよては恩日には 、林松寺のお和尚さんにお経ばあげて貰よったけん、由来ば聞いたりや、柳川と佐賀ん戦 争んあった時、そりやあ恐ろしか戦さで、戦死者も数えきらんごつ多かったげな。柳川ん方がぶの悪うして、偉か大将さん達もばさらか討死せらしゃつたげなたい。偉か人達やあ みんな首ば切られて持っていかれたけん、可哀想じゃち言うて首なし地蔵さんば祀ったげなたい。中八院の三太夫地蔵さんな、立花三太夫ちいう柳川随一の豪傑で、その奮戦振りも討死の様子も記録にあるけん、今でん立花ん殿様から供養料の村にくるげなばい。揚田ん地蔵もしょては、やっば立花様からお供えんあがりょつたげなばってん、村もお祭りもせんごつなったけん、自然とこんごつなったげな。林松寺さんにゃ討死した人ん名前もあったげなばってん、火事で焼けて今はなかげな。しょては、薮ん中の墓地におらしゃつたばってん、構造改善事業で立派な道ん出来たけ ん、広か屋敷地ば造って移つてもろたばい。新しかお堂ば建立する時や寄附も多して、見違えるごつようなったばい。お地蔵さんな慈悲深い仏様で、どげな願いでん一つは必ずかなえて下さるけん、ほんに有難うしてお参りする人もばさらかたい。恩日にゃ、ちゃ-んと皆でお掃除して、お接待も用意しとるけん是非お参りにきてくれんの。