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名前 |
稲荷世古観音と道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
史跡探索で訪ねた豊川稲荷遥拝所のT字路を北東へ向かって進むと、豊橋市立下地小学校南側門近くの三叉路に所在するのを確認しました。脇に「とよかわみち」と刻まれた道標と共に献花された観音堂内には、説明板があり、【稲荷 世古について𠮷田大橋を渡って一町(109m)ほど進むと左手に空地がありそこから北に幅八尺(240cm)ほどの道がのびていた この道が太田 南畝の「改元紀行」にその名前が見える豊川稲荷道である。地元の人たちはこの道を一町ほど入ったあたりまでを「稲荷ぜこ」とよんでいる この名前の起こりは入口にある豊川稲荷の遥拝所をして 古くから人々に親しまれてきたことによる この世古のはずれに立つ「右とよかわみち」の道標は安政五年(1858)正月に江戸 新衛門(しんえもん)町の米屋 忠兵衛(ちゅうべい)が建てたものである。この三叉路に立つ辻観音は 造立年次や造立者名の刻みはないけれど観音台石に刻んである「道中安全、右 鳳来(ほうらい)寺、しんしろ、とよ川道」の文字や この観音にまつわる祭礼 行事から江戸時代後期に 建てられたものと推定される 祭礼は毎年お盆の八月十六日に行われている 世古の入口にある「右 御油(ごゆ)道 左 吉田(よしだ)道」と刻まれた 灯籠型の道標があるが元の位置とは異なっている この場所にあった大鳥居は豊川稲荷の境内に移されている 稲荷 世古 観音 講 】とありました。調べてみると、登場する太田 南畝(おおた なんぽ)は、江戸時代の下級武士で文人、狂歌師であり「改元紀行」は寛政から享和への改元時に江戸から京都、大阪への紀行書であることが判りました。現在 継続中の秋葉山常夜燈探索においても「とよかわ道」の存在を知ることが出来て大いに助かりました。駐車場等はなく、交通量は少ないかもしれませんが狭い道路の三叉路です見学にはご注意してください。