平和塔の周りで歴史深掘り。
江藤新平の遭厄記念碑の特徴
江藤新平の遭厄記念碑は歴史の息吹を感じる史跡です。
甲浦小学校の近くに位置し、平和塔境内にあります。
司馬遼太郎の作品にも登場し、訪問者に深い歴史を教えてくれます。
甲浦小学校のかたわらの平和塔境内に立つ標石。1875年(明治8年)佐賀の乱に敗れた江藤新平は徳島に逃れる途中この地で捉えられた。
司馬遼太郎の歳月を読み訪問しました。案内板が日焼けしてしまい、読むことができませんでしたが、とても感慨深いものがありました。周辺の海沿いもとても気持ちの良い土地です。
名前 |
江藤新平の遭厄記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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佐賀の乱は新政府軍に鎮圧され、江藤は薩摩士族の挙兵を懇願する為に明治6年の政変により、共に下野した西郷隆盛を訪ねる。鰻温泉(現指宿市)で湯治をしていた西郷が申し出を断った為、九州から四国に上陸。土佐の林有造らに武装蜂起を呼びかけるが、相容れられなかった。そこで上京して岩倉具視に直接会い、陳情を画策。土佐を脱出して阿波へ入ろうとするが、甲浦で捕縛されて佐賀に送還された。当時、手配人として江藤新平の写真が出回っていた事から、速やかに捕らえられたと言われているが、この指名手配制度は司法整備を進めた 江藤新平自身が考案したものであり、皮肉にも被適用者第1号になったと言う。