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名前 |
滅苦寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
京都造形芸術大の北角(北白川通に面す・左京区一乗寺樋ノ口町)に「滅苦寺跡」の石標が立つ。北白川廃寺の跡は滅苦寺跡であると云う。また、粟田氏の氏寺粟田寺であったとも云う。あるいは、同区域に独立して存在した別の寺院であるとも云う。詳細は不明であるが、奈良前期もしくは白鳳期に創建され、鎌倉期まで存続したと云う。貞享3年(1686)「雍州府志」黒川道祐 では、寺は北白川将軍山の西麓にあったと云う。昭和9年(1934)周辺の発掘調査により、瓦、瓦積基壇が発見される。昭和49年(1974)昭和50年(1975)の発掘調査では、塔跡とみられる正方形の石積基壇が発見される。