天武天皇が得度した静寂な古刹。
大野寺の特徴
天武天皇が得度した歴史深い古刹です。
大海人皇子が得度した由緒ある寺院です。
阿波市の文化を感じる神聖な場所です。
壬申の乱の始まりの日に、みよし町の加茂野宮から立ち、この大野寺まで移動しました。阿讃山地の扇状地を移動するので容易だったでしょう。吉野川水路も使ったかもしれません。
なんて静な雰囲気なのか。疲れた時は行ってみては如何でしょうか?
天武天皇が得度した古刹。
大海人皇子(天武天皇)が得度した寺といわれる。
| 名前 |
大野寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0883-36-4406 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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伝存する『真言宗得道山灌頂院大野寺縁起』は明治十年(一八七七)当寺の住職快道によって書かれたものである。その冒頭に「(大野寺の)往古の開基は詳細には分らないが、天智天皇の勅願處で天皇がご巡国の砌、阿波に来られたさい、南方には隆禅寺、北方には大野寺を創立せられ・・・」とある。このように大野寺の山号は【得道山】であるが偽史・邪馬台国阿波説を語る『道は阿波より始まる』においては、天武天皇が得度した事に因む「【得度山】歓頂院大野寺」であると即座に発覚する嘘を記述している。この寺が壬申の乱に関係するという事はない。このような作り話であふれた胡散臭い本の内容を拡散しては県の品位が疑われるのやめた方が良いだろう。◆日本書紀の壬申の乱には三社の式内社が登場するが全て大和国の式内社でありその戦場が阿波であったなどと主張する事は常軌を逸している。(高市県主許梅の神憑り)金綱井に集結した時、高市軍の大領の高市県主許梅は、にわかにロをつぐんでものを言うことが出来なくなった。 三日の後、神憑りのようになって言うのに、 「我は高市社にいる事代主神である。また身狭社(牟佐社)にいる生霊神である」と言い、神の言葉として、「神武天皇の山陵に、馬や種々の武器を奉るがよい」と言った。また、村屋神の祭神も、祝(神官)に神憑って、 「今、我が社の中の道から軍勢がくる。それで社の中の道を防げ」と言った。高市社とは「大和國高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社」 身狭社とは「大和國高市郡 牟佐坐神社」であり孝元天皇の即位された宮地と伝えられている。村屋神とは「大和國城下郡 村屋坐弥富都比賣神社」であり大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。 三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。