足利茶々丸の墓で歴史に触れる。
足利茶々丸公方墓の特徴
足利茶々丸公方の墓が静かに佇む絶景スポットです。
伊勢宗瑞(北条早雲)との歴史的繋がりが感じられます。
トイレの奥に位置するため、訪問時には注意が必要です。
韮山村北条驛(四日町、寺家、中條の三区画を総称して北條と言っている。北の入り口を四日市。次を北條次を中條 七、八町隔てて南條といったという。)の西南方の小丘を、守山と言っている。願成就院のちょうど後方山つづきになっておるが、院の裏山に沿った横穴に、足利茶々丸(足利政知)の石塔というものがある。今のは至つての新塔であるが、十年前までのは、当時のものらしい五輪形の石塔であったということである。(大正7年 日本伝説叢書より抜粋)茶々丸は願成就院にて自害をした というのが定説ではあるが、【北条五大記】『大森山へ攻め上り御所御山を下り、會下寺に入って切腹し給ひ 云々』の會下とは禅宗の修行の場所を示すことから、圓成寺を會下寺と考え、したがって茶々丸切腹の場所とする説もあるとの紹介もされている。圓成寺 今堀起御所の西の洞にあつて近年まで墓石の存在したることを故老は語っている。とも紹介してあります。【参考 茶々丸自害】【鎌倉九代後期】『茶々丸、大森山へ退去し、即かの山下の寺にて自害する。』【今川記】『願成就院にて自害』
トイレの方向に向かっていきその奥にありますので見落とさないようお気をつけを!
従来はこの地で再起を図ったという説が有力だったようです。近年は武田氏などを頼って北方に逃げ、そこで追い詰められて自害という流れだったのでは?と言われてるので、この墓は後付で建てられたものでしょう。
伊勢宗瑞(北条早雲)に滅ぼされた堀越公方最後の当主、足利茶々丸の墓。
名前 |
足利茶々丸公方墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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堀越公方 足利茶々丸の お墓です。