薬師如来祈願の聖地、天福寺。
天福寺の特徴
本尊の薬師如来は、五尺三寸で特に印象的です。
天平年間に行基菩薩が彫刻した歴史ある寺院です。
小さな石仏が多く点在しており、見応えがあります。
四国三十六不動霊場 三十二番札所 真言宗御室派。
天平年間(729~766年)に行基菩薩が諸国行脚の途中にこの土地に来られ由佐の音谷を仏法相応の霊地であるとされ、五尺三寸の薬師如来を彫られて一堂を建立、安置して美應山法輪院清性寺としたのが起源と云われています。延暦年間(728~805年)に弘法大師空海がこの寺に来遊されて真言宗の道場とされました。そしてこれを信仰していた四条天皇は国司の橘公忠に命じて音谷清性寺を現在の場所に移し寺号を天福寺と改めました。室町後期に成り土佐の長曽我部元親軍の讃岐進行の折に天福寺辺りに陣を敷き、この辺り城を平らげて行きます。その戦火にあい、かなりの伽藍が被害を受けたようです。戦前は相当広大な敷地や塔中が有り繁栄していたようです。また、天福寺には沢山の宝物が保管されています。例えば伊勢物語(後鳥羽院)、御歌(後醍醐天皇)、弥陀六字名号(弘法大師)、薬師如来立像(行基菩薩)など数百点に及んでいます。本尊薬師如来の「衆生の病魔に冒されし者、諸厄に苦しむ者あらば、明王ただちに行き身にも代えて悪魔降伏せしむるべし」と云う法言本願により身代わり不動尊(四国三十六不動霊場第三十二番札所)と呼ばれています。美應山 宝勝院 天福寺宗派 真言宗御室派天平年間建立開基 行基菩薩本尊 薬師如来立像(行基菩薩作)真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか童子名 妙空藏童子真言 おん こうなん とくじつ そわか四国三十六不動霊場第三十二番札所。
小さな石仏が いっぱいいらっしゃいます。見どころ 多数あります。
広いから、手入れが大変でしょうね!でも、住職さんは、丁寧ですよ!
4つの国と36は市場を動かさない32Meiyingshan Baoshengyuan Tianfu Temple(びおうざんほうしょういんてんぷくじ)(原文)四国三十六不動霊場第32番美應山 宝勝院 天福寺(びおうざん ほうしょういん てんぷくじ)
美応山宝勝院天福寺と言う。真言宗仁和寺派。開基は天平年間(729-766)に行基菩薩が諸国行脚で当地へ五尺三寸の薬師如来を彫刻し、一宇を建立安置し、美応山宝勝院清性寺とした。その後、延暦年間(782-805)弘法大師が来られ真言宗の道場とした。そして、これを信仰して、四条天皇(1232-1242)は国司の橘の公忠に伝えて、音谷清性寺を現在の所に移し天福寺と改めたのです。応永えい18年(1411)横井丹後守光政の香華の時、長禄年間(1457-1460)細川頼之の崇敬、修理、天正13年(1585)長曽我部元親は由佐城合戦の時、陣地とする。宿坊(12坊)全て焼失し、本堂のみ残る。現在の天福寺には数多くの宝物が保管されています。いそ。
四国三十六不動霊場第32番天福寺妙空蔵童子…薬師堂を不動堂と間違えました…納経所の近くに不動堂があります。
名前 |
天福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
087-879-2243 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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本尊は薬師如来。四国三十六不動霊場第32番の札所になっています。天平年間(729年 - 766年)に行基が諸国行脚の際に当地を訪れ、由佐の音谷を仏法相応の霊地と感得して薬師如来像を刻み、一堂を建てて安置し、美應山宝勝院清性寺としたのが始まりで、その後、空海が四国巡錫の折に、この寺に来遊して真言宗の道場としました。そして、これを信仰した四条天皇は讃岐国司の橘公忠に命じて、音谷清性寺を現在の地に移して天福寺と改号しました。道路脇のバスも停まれる駐車場より女坂男坂薬師坂を上がると本堂エリア前に着き仁王門を入ると正面に本堂があります。不動霊場の参拝者は両エリアの間の通路を進んで黒門を入り進むと右手に護摩堂があり参拝します。納経は護摩堂に向って右の堂とそれに続く右の建物で、ブザーを押して待ちます。ご住職の対応は気持ちいいです。なお北からの車道を上がると黒門への通路前に着きトイレの横に駐車できます。