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名前 |
光貴寺 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
5.0 |
山院寺号 五池山菩提院光貴寺宗派 真言宗御室派御本尊 阿弥陀如来木仏立像真言 おん あみりた てんせい からうん開基 行基菩薩創建 天平元年札所 新四国曼荼羅霊場第十二番札所聖武天皇の時、天平元年に行基菩薩の創建と伝わる。行基菩薩はこの地に来て無量壽の聖像を刻み、大いに土地を開き殿宇楼閣を建てる。弘仁十三年(822年)弘法大師空海当山において秘密灌頂の道場を開き菩提院と号し真言宗の寺院とする。弘仁十四年の夏に眞如親王が当山に来られ当時大旱魃で国民大いに苦しむを見て親王勅を奉じ請雨経の秘法を修し五池を穿ち五方の龍王を招き大雨を降らした。天皇震感浅からず優賞殊渥従是名を五池山を賜りました。仁和年中には国司として讃岐に来ていた菅原道真公が弘法大師が住し霊地で行基菩薩の作なる無量寿尊像を祟信し当山に参籠すること幾百日、しばしば霊験を賜ったと云う。光明普く十方世界を照らす事から光貴寺と寺号をする。嘉祥年中(848〜851年)七堂伽藍建立、以来三百有余年間大いに隆盛する。建久年中(1190〜1198年)火災により伽藍全て焼失、その後再建し本堂、護摩堂、閻魔堂、鐘楼堂、表門、客殿、庫裏、土蔵等数棟で郷内屈指の名刹と成りました。それより数百年間続くが明治初年の奸民暴動の輩の放火により護摩堂を残し全て灰燼に帰す。再三の焼失により記録等々全て無くなり寺歴不明と成りました。