江戸の風情感じる、宝珠山のご利益。
本堯寺の特徴
江戸時代の松平左近の墓所があり、歴史を感じられる場所です。
ウオーキングコースから見える位置にあり、アクセスも便利です。
幕末の重要な背景を持つ寺院で、訪れる価値があります。
江戸時代の幕末に松平高松藩を危機から救った松平左近とその一族の墓所がこの寺にあります。松平左近(1809-1868)は幕末の勤皇家として有名である。高松松平藩八代目頼儀(のり)の長男として江戸小石川の高松藩邸で生まれる。名は頼該(かね)通称左近金岳と号した。文武の才能にたけ、しかも芝居や能に深い感心を持ち、法華宗の熱心な信者で仏典にも精通していた。尊王の志厚い長谷川宗彦衛門、藤川三渓、日柳嚥石等の憂国の志士を庇護し勤王の思想を鼓舞し、幕藩体制ながら、志士の活動を助けた。鳥羽伏見の戦いで高松藩は朝敵の罪を問われることになった時、左近は大義を説いて複雑な藩論を迎え、朝廷に共順の意を示させた。この寺は法華宗です。
ウオーキングコースから見える寺院、一度立ち寄りたく今日になつた。江戸幕末に松平高松潘を危機から救った松平左近の墓所がこの寺にあるとのこといいウオーキングになつた。
| 名前 |
本堯寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
087-885-2020 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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山号院号寺号 宝珠山浄住院本堯寺宗派 法華宗(日蓮宗)本門流御本尊 本門八品上行所伝の南妙法蓮華経開基 浄住院日喜上人創建 永禄ニ年永禄ニ年に羽床城主、羽床伊豆守安富の三男羽床三郎資國が建立しました。羽床三郎資國は文禄四年( 1595年)に死亡。法号を大堯院殿就號安日大居士と称せられました。六代目日行の時に当地に移転しました。始め岡本村山崎氏(豪族)に怪変があり、日行の祈祷により妖怪は絶ってしまいました。これに山崎氏、同族の木田佐久間等は皆、法華宗に改宗し日行に帰依し寺を移転することと成りました。元禄十五年(1702年)からいてに着手、宝永五年(1708年)に諸堂建立は成就。現在の本堂、山門はその時の建立であります。また当寺には高松藩の幕末の英雄、松平頼該(よりかね)の霊廟、一族の墓標が安置されています。松平頼該(左近と称し金岳と号した)の生母は綱女と云い、当寺の創立に尽力した山崎宗隆の子孫で法華宗に厚く信仰していました。左近も母親の感化を受け中年の頃、当寺に帰依。日蓮上人の主義を鑽仰、憂国勤王の志し厚く王事に尽くす事が多かった。特に当寺の結縁となり当村の勤王家、小橋安蔵、友之輔、多助、順二は皆、左近の保護の薫陶によるものです。左近な明治元年八月に死去、享年六十歳でした。