国道32号線で風を感じて。
広々として、風が通りとても気持ちのいい場所です✨脇神社の鳥居の近くには駐車スペースがないので、地神社の方から行って、地神社の鳥居のあたりに停めれました。脇神社の鳥居は、一旦階段で下に降ります。神社の脇にトイレもありました。脇神社の後ろの小高い場所には、寒之神と書かれた神社がありました。
名前 |
脇神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E8%84%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
評価 |
4.4 |
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国道32号線、道の駅滝宮より西に1km辺りの小野交差点の左側に鎮座されています神社です。社伝によると延喜年間(901〜923年)に出雲国から当地に来住した者が有りました。常信と云う者で杵築大神を崇敬し祠を建て氏神としました。地名に因み和気大明神と称し、我が姓も脇と称するように成りました。その子孫の脇糸目は羽床伊豆守の重臣と成り当社を崇敬しました。糸目は羽床七人衆の一人で豪勇の者でありましたが天正年間に豊臣秀吉の家臣仙石に従い九州征伐に従軍し豊後戸次川合戦にて戦死しました。天正七年の土佐長曽我部元親の讃岐侵入の折、焼き討ちを行なおうとしたら大変な数の猪が現れ火をつけられず立ち去ったと云う伝説が残っています。妙見大明神の境内末社で脇大明神とあり、延享時代は大明神、天保時代は脇大明神、和木大明神、明治初年には脇社、明治十年の届けには脇神社とあり免場の地名が変わるたび神社名が変わっています。それから当社の辺りは古墳地帯であり、境内東の小山や当社本殿裏側の祠辺りも古墳と思われます。現在神社東側の団地や老人ホーム辺りには集団墓古墳がありましたが発掘調査後に造成されたようです。駐車場は東側の老人ホームの方からの細道を行くと境内まで入れます。境内は綺麗に履き清められて大変気持ち良くお祀り出来ました。