山田方谷ゆかりの榎の巨樹。
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山田方谷由来の長瀬塾の高梁川対岸にある榎の巨樹。安政6年(1859年)に越後長岡藩士河井継之助が山田方谷との別れを惜しんだとされる場所に立つ。対岸で見送る山田方谷家の人々に何度も土下座拝礼したとされている。
名前 |
見返りの榎 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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岡山から伯備線で備中高梁へ行き、レンタカーを借りて山田方谷の足跡をあちこち訪ねた。何とか日没前に墓のある中井の方谷園まで行き、新見市の記念館や方谷園には行きそびれたが、戻る途中で立ち寄った。駐車場は無い。城下の御根小屋の辺りからはそこそこ距離があり、ここまで河井継之助が行ったり来たりしたのかと思うと感慨深かった。昔の人は健脚だったが。江戸で評判を聞き、遠路はるばる薫陶を受けに出向き、弟子入りを熱望した継之助。忙しくて当初は弟子入りを拒んだが、継之助の熱心さに受け入れた方谷は、越後長岡では継之助を容れる器が小さいと喝破した。双方が別れを惜しんだと思う。そのまま永遠の別れとなったが、国を思う志は今後も脈々と受け継がれると思う。