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名前 |
加土城趾 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
木屋原惣瀬の北端の小山へ、「加土(かど)城」があったとされています。そこから南寄りの山麓に「大栗谷」と呼ばれる屋敷があり、そこが城主、福光氏の居館趾といわています。福光氏は天文〜天正期(1532年〜1591年)頃、この地に成長した土豪と思われ、近在の「堀越」、「樋口」の二城は、同氏の出城と考えられています。のち、三子山城に拠る三河内氏の旗下に入り活躍したと云われていますが、近世になって帰農し、庄屋などをつとめたとされています。木屋原は、そのむかしカンナ流しの砂が堆積しており、洪水のたびに氾濫し、そのつど流路が大きく変動していたようですが、幕末から明治初期にかけて、護岸工事が本格化し、現在は、比和町内で最も米がよくできる地域となっています。