信長の野望、那古野城跡へ!
那古野城跡の特徴
名古屋城築城以前に存在した那古野城跡です❗
今川氏親の居城で、歴史的な意義があります
信長が奪取した歴史が感じられる場所です!
名古屋城が築城されたこの場所にはかつて那古野城と呼ばれた城があったという。今川義元の父今川氏親によって築かれ、尾張東部支配の拠点となったという。その後、今川氏庶流の那古野氏が在城したが、織田信長の父織田信秀によって奪われた。一説によると織田信長はここ那古野城で生まれたという。信長の代になり拠点は清須城に移され、那古野城はやがて廃城となった。
名古屋城の築城以前にあった城。今川氏の一族、今川那古野氏の城であったが織田氏により奪われた。名古屋城二ノ丸にある。
遺構はまったく見当たりませんが、案内版で概要を知ることができます。
元祖はこちらに2024年4月上旬に行きました。名古屋城二之丸が故地とされており城址の碑と説明板があります。経緯としては1521〜28 今川家が築城1532頃 織田信秀が奪う、のちに織田信長が城主に1555 織田信長は清須城に居を移し、織田信光が城主となり、さらに林通勝に譲られる1582頃 廃城にと考えてられており説明板には—————————————————————那古野城跡大永年間(一五二一~二八)に、今川氏親が名古屋台地西北端(名古屋城二の丸あたり )に築いた城で、一名「柳之丸」ともいわれ、一族の今川氏豊を城主とした。織田信秀は、天文七年(一五三八)この城を奪い、ここに居するが、同十一年( 一五四二)頃に古渡城を築城して、この城を去り、以後、嫡子信長が居城したとされている。弘治元年(一五五五)織田信長が清須に移った後は、一族の織田信光がしばらくの間居城していたが、やがて廃城となった。名古屋市教育委員会—————————————————————-那古野城の遺構は殆ど残っておらずふーん といった感じでした。
今川氏親の居城だったんですね❗二の丸庭園の中にありました🌳信長の居城になったのは信秀が奪いとったからなんですね!
あまり一般的ではない場所かもしれませんが、名古屋城の前に建っていた那古野城の跡。コチラで少し歴史を感じて頂けるとよいかも。
信長の野望ヘビーユーザーとしては今の名古屋城よりもこっちの那古野城の方が親しみがある。この城から信長の「野望」は始まった……
真田戦記那古野城跡愛知県名古屋市中区二の丸1−1元は今川氏親(義元の父)築城になってます。織田信秀が計略により今川氏豊を追放して城を奪い、拠点を置いたとされています。那古野城という城名はこのとき付けられたとの説があります。信秀は那古野城を幼い信長に譲り、自身は古渡城に移ったとされています。やがて信長は清州城に移り数年後、城は廃城になりました。名古屋城築城前は荒地だったそうです。
織田信秀が、今川氏から略奪し、信長の居住城として与えた城跡です。
| 名前 |
那古野城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
〒460-0032 愛知県名古屋市中区二の丸1−1 ボタン園 |
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織田信長生誕の城があったとされる場所。清須城に居を移したあと廃城となったそうですが、この後、清須・小牧・岐阜・安土と革新的な城を造って行く信長の第一の城であると思うと感慨深い。現在は戦国の野趣が色濃く残る庭園となっています。