金田漁港朝市からの義村公旧墓所。
三浦義村公墓所の特徴
金田漁港朝市からすぐ近く、アクセスが良好です。
碑には義村公旧墓所と刻まれ、歴史を感じる場所です。
福寿寺の住職が親切で、訪れる人を温かく迎えてくれます。
金田漁港朝市の駐車場に車を止めて交差点の横断歩道を渡ると、目の前に少しわかりにくいところに階段があって、案内が壁に書かれています。住宅の庭のような敷地を横切って更に上がると墓所があります。
虫が多くて刺されるので虫除けがあった方が良いかも。
◆『三浦義村(よしむら)の墓』は、県道215号線〈岩浦(いわぶ)バス停〉と「金田漁港入口」がある交差点近くの高台にあります。◆信号機のある交差点の内陸側に、進入口となる急傾斜の階段があります。2つの階段を上り終えると高台の頂上に到着します。◆右に解説板、右奥に三浦義村の墓、左に供養塔、左奥に八坂神社があります。※現存の義村の墓は、関東大震災による崖崩れで海に沈んだものを回収し積み直したものだそうです。義村公旧墓所と刻まれています。※金田漁港の駐車場利用の際に、参拝することができます。
碑には「義村公旧墓所」と刻まれています。
福寿寺の住職とても親切でした!
この場所に建立されていたお墓は、地震のために崖下に転落して海に没したそうですが、地元の方が海から引き上げて、元のこの場所に戻したと伝わっています。海の中から引き上げるにも、相当に大きな墓石で、この大石を海から・・・と思うと、地元の方の篤い気持ちが伝わってきます。
| 名前 |
三浦義村公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
046-882-1111 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
「鎌倉幕府をつくり、北条氏を支え、三浦一族を栄えさせた、策謀の人。」三浦義村(みうら よしむら 1168?~1239)は鎌倉幕府を造った源頼朝の妻である北条政子(1157~1225)のイトコである。彼は政子の弟であり頼朝の一番頼りにしていた武将である北条義時(1163~1224)とともに平家を滅ぼし鎌倉幕府を開いた、頼朝が亡くなると鎌倉幕府はかつて頼朝とともに戦った様々な武将たちが我こそはと主導権を握ろうと政変がいくつも発生した、その中で義村は義時をはじめとする北条家を支え、時には様々な策謀を行いかつては共に平家と戦った武将たちと剣を交え討ち取った。(頼朝が平家との戦に敗れ箱根の山中の洞窟に潜伏していた時に発見されるも見逃してくれた梶原景時、同じ三浦氏族であり頼朝が挙兵した時からともに戦った勇敢なる武将である和田義盛など)その様を見てある武将は「三浦の犬は友を喰らう」と罵ったという、しかし彼の策謀により三浦一族は最盛期を成しえ鎌倉幕府内において北条家に次ぐ有力な武家となった、1239年に三浦義村は脳卒中で亡くなるとそれから数年後の1247年に三浦一族は北条家と対立し宝治合戦(三浦氏の乱)にて敗北し滅亡した。現在残っているお墓は1923年9月1日の関東大震災で一度崩落し海中に没してしまい再建されたモノであり、海中に没した墓石も後に海から引き揚げられて積みなおされ五輪塔のような形で残されております。