清水宗治の誓い、今も息づく。
清水宗治公自刃の地の特徴
明治時代の建立の供養塔が記されている場所です。
清水宗治公が自刃した場所としての歴史的意義があります。
高松山妙玄寺の近くに位置し、周辺整備が進んでいます。
妙玄寺境内にある供養塔。あの備中高松城の城主清水宗治が切腹した場所です。戦国時代、清水宗治は中国地方の大部分を治めていた毛利輝元の叔父であの毛利元就の三男である小早川隆景の家臣でした。毛利家と織田信長が対立すると信長の家臣羽柴秀吉が中国へ進軍を開始。毛利側の寝返りや落城が相次ぐ中で備中の要所にあった高松城も羽柴軍が迫り、地の利を生かし堰で水を堰き止め城を孤立させるという奇策に遭います。これが有名な秀吉の備中高松城の水攻めです。家臣だけでなく周辺の領民も逃げ込んだ高松城側が籠城で疲弊する中、織田信長が家臣明智光秀の謀反による本能寺の変で自害しました。すぐに東へ引き返して光秀を討ちたかった秀吉は毛利と和睦をする為に条件の1つとして高松城主である宗治の自害を要求します。毛利側は宗治の自害に反対しますがその話を聞いた宗治は了承し、小船の上で舞ってから切腹しました。最期を見届けた秀吉は「武士の鑑」と宗治を賞賛しその後世に言う中国大返しで京に向けて引き返し山崎の戦いで明智光秀に勝利し天下人への道を駆け上がっていきます。その中で秀吉と共に宗治の最期を見ていた家臣や従っていた武将達も出世して各地の大名となり切腹が武士の最期に相応しいという考えが全国に広まり江戸時代には武士の自刃は切腹が基本になっていきました。供養塔には献灯台とお線香が用意されていて妙玄寺本堂に参拝する前にこちらに手を合わせてきました。
織田方からの誘い乗らず、毛利方として戦い続けた清水宗治公の自刃の地です。秀吉からも武士の鏡と称賛された名将。もし本能寺の変のことを毛利方が先に知ることができたら、清水宗治公もなくなることはなかったのでしょうか...備中高松城跡から東に3分ほどで到着します。すぐ隣にごうやぶ遺跡があります。そちらは家臣が清水宗治公に殉死した場所だそうです。
自分の命により主君を安泰にし、部下の命を助けることができるのならば、自らの首など安いものだと、まさに上司にしたい武将の一人。
備中高松城跡の道向かい、徒歩2分位のところにある高松山妙玄寺、清水宗治公が自刄した地とされ歴代住職により供養がなされ、境内に供養塔が建立されています。清水宗治公は最期に豊臣秀吉公から贈られた酒と肴で宴をし、舞をおどった後にこの地の船上で自刃したと言われており、その最期は見事であったと、後の天下人・豊臣秀吉公が絶賛したそうです。
岡山県岡山市北区高松691にある、清水宗治の自刃の地です。高松山妙玄寺は、慶長5年(1600)、高松知行所の領主・花房職之公により花房家の菩提寺として建立された、備中高松水攻の名残をとどめる寺院です。別名、水攻寺とも称されます。清水宗治自刃の地は、高松山妙玄寺境内で、この寺の歴代住職によって供養されているとのことです。境内には昭和38年に建立された清水宗治公供養塔があります。供養塔から西側20メートルに田んぼに囲まれた場所にこうやぶ遺構があります。豊臣秀吉の水攻めにより切腹した高松城主・清水宗治公の自刃之跡近くの田んぼの中に「こうやぶ遺跡」があります。家臣の命を助けるために切腹した清水宗治ですが、何人かの家臣は、この場所で互いに刺し違えて殉死したと伝えられています。アクセスは、備中高松駅出口から徒歩約10分で、備中高松城跡公園の直ぐ前にあります。足守駅出口から徒歩約30分吉備津駅出口から徒歩約48分。
供養のため初めて訪問。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」享年46✨⭐️1582年(天正10年)、織田信長の四司令官の一人、羽柴秀吉の中国進攻に抵抗、備中高松城に籠城し徹底抗戦、秀吉得意の懐柔策で降伏すれば備中u0026備後2ヶ国を与えるとの条件撥ね付け応じず、信長誓詞を毛利本家に届け武士の忠義を貫く🐎⭐️秀吉の軍師/黒田官兵衛の献策で歴史上に名を残す『備中高松城水攻め』の前に降伏決意、城兵3000の命と引き換えに、敵味方見守るなか湖面の舟の上で切腹、秀吉が『武士の鑑』と称賛🤔⭐️思った事①、思いの外、備中高松城の三の丸から近い場所だったと廻りを眺めて実感、遠く石井山の山頂に白い旗が靡いてました「羽柴秀吉本陣」ホントに秀吉陣地から見えたかな😅⭐️思った事②、もう数日でも講和が延びたら、もし清水宗治が頑固で降伏しなかったら、毛利外交僧/安国寺恵瓊と羽柴軍師/黒田官兵衛孝高が居なかったら、「中国大返し」や「山崎の合戦」の結果はどうなったんだろ~、歴史も紙一重ですね、秀吉に天下を取らせた時の巡り合わせ⚔️
2021/3/21来訪。宗治公の自刃は後の切腹の作法となったとのこと。詳しくは高松城址にある資料館のビデオで。
石碑と隣のお寺、ともに新しいものです。
| 名前 |
清水宗治公自刃の地 |
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| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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秀吉の備中高松城水攻めの際、城主•清水宗治が秀吉の用意した小船の上で『誓願寺』の舞を舞って辞世の句を詠んで自刃(切腹)した地です。秀吉が陣を置いた石井山からもその様子が見えたのでは…辞世は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」