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名前 |
地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
叶は北は吉成、南は数津(すづ)に接し江戸期は参勤交代の街道が貫き、往来人で賑わう茶店もあって、その名残の叶茶屋の地名もありました。地蔵尊(叶)は集落南側の墓所入口に奉納です。長い歳月を経てその結果、六地蔵は全体の輪郭や顔の表情、文様などは丸みを帯びてしまっています。右側から二体目の地蔵だけが奇跡的に(天明二年八月吉日 念佛講中)と読めます。読めてありがたいです。この年1782年の夏は非常な冷夏で稲穂が全く実らず夏枯れをしてしまい、この年から89年までは満足な収穫が望めない、世に伝わる天明の大飢饉でした。地蔵尊(叶)は当時の人々の切なる願いと祈りと供養とを受け継ぎながらその後の239年間の人々の生活と共にあって崇敬を集め続けています。