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名前 |
天明の供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
古代律令国家時代、因幡国の政(まつりごと)の中心は国分寺一帯にありました。国庁遺跡や国分寺跡、国分寺集落内の神社等はその証です。古くからの国分寺に五体の供養塔が奉納されています。何れも歳月を感じます。その中で天明の供養塔と安永の供養塔が建てられているのが確認できます。(天明三年)は天明の飢饉最初の年1783年でこれから5年間続きます。始まる前年がその兆候の年とすれば五年後の1787年に飢饉が終息したとしてもその後の数年は飢饉の影響はありますから天明の飢饉は10年近く続いた事になります。(合掌)(安永十年)は天明の年号開始の前の年号で1781年、これ等の供養塔と合わせて五体が横一列に並び静かに歴史を後世に語りかけています。