歴史が語る、平和の道。
露軍将校遺体漂着記念碑の特徴
日露戦争でのロシア海軍艦艇沈没後の歴史を感じる場所です。
石碑は遊歩道傍の岩肌にポツンと建っており、静かな佇まいを見せます。
5年ごとに行われる露国将兵慰霊祭が開催され、歴史の重みを感じます。
遊歩道つたいに初めて行きました。「小鴨が磯」と「大鴨が磯」に位置するこの地から見える「眼前の二つの島」は「伊勢の夫婦岩」に並ぶ👭オシドリ(鴨が磯)の聖地---???
階段を降りていって、分かれ道を右へ。浜を奥まで行くと、岩に通路があるので、進んでいくとあります。
綺麗な場所です。何枚か写真を撮りましたが,この記念碑の写真だけ白っぽく霧がかかり逆さまに写ってました。
日露戦争における日本海海戦の直後、沈没したロシア海軍軍艦の乗組員と思われるロシア人将校の遺体が漂着したことを示す石碑。現地の人達に丁寧に葬られたとのこと。
2017.11.04.(土) 15:55 記念碑には初来訪(車でフラフラ 気儘な奈良斑鳩人)記念碑は 岸辺から少し離れた 遊歩道傍の岩肌に石碑が ポツンと建っていましたネットで調べると 1905年(M.38)の5月に日露戦争で 東郷平八郎が率いる連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が 対馬沖で海戦しその際に 敗れたロシアの将校3名の遺体がコノ付近に漂着し 田後村の漁民により引き上げられ 遺体を丁寧に弔い 鴨ケ磯の椿谷に埋葬したと言う 歴史があったトノ事でしたソノ事で 1962年(S.37)に ロシア兵の慰霊と村人たちの人類愛を顕彰する目的で「露軍将校遺体漂着記念碑」が建立されソレ以後は5年毎にロシア外交官が訪れ献花を行う「露国将兵慰霊祭」が催されていると 有りました尚 日本海海戦における ロシア兵の漂着は青森県から長崎県の広範囲渡り 11県で71名が確認され 島根県が26名と一番多くココ鳥取県では 7名が漂着したと有りました今から100年程前に コノ付近に戦争に於て兵隊さんが三名 漂着した事実知り戦争はイヤだ 平和で有るように! っと碑に向かい 手を合わした次第でした。
名前 |
露軍将校遺体漂着記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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明治時代に対馬海戦で戦死したロシア人が、ここまで流れてきたそう。敵兵すら丁重に供養した地元住民も、浦富が輩出した国連大使も、郷土の誇りですね。