春の梅まつりで心和む、坂田城跡散策。
坂田城跡の特徴
春の梅まつりでは毎年賑わいを見せ、特別な雰囲気が楽しめる場所です。
千葉氏の家臣・井田氏の居城跡地で、歴史を肌で感じられます。
標高25メートルの台地に築かれた戦国時代の城郭の美しい景観が魅力です。
車一台がようやく通れる小道を進むと、四方を梅林保護のネットに挟まれた十字路に着くが、その脇に城趾の立て看板がある。この十字路も狭いので曲がるのに苦労するし、バックで今来た道を帰るのにも距離があり、運転に自信のない人は車で行くべきではない。一帯は梅林のネットに挟まれた農道があるだけで、遺構は見当たらない。奥の方に別の立て看板もあるのだが、こちらにも何も無い。
毎年梅祭りを開催しています梅祭り期間中は梅林内通路は一般車両進入禁止になり周囲に臨時駐車場が設けられます水戸の偕楽園の様に混むイメージはありません普通に来て普通に楽しめると思います。
この地域で勢力を誇った千葉氏の家臣の井田氏の居城、標高25メートルの半島状台地の上に築城されていました。付近に坂田池公園があり無料駐車場があります。広大な城域ですが、現在はほとんどが田畑となっています。しかし、本丸跡は遺構が残され、大きな空堀が残っています。梅林が有名でシーズン中は多くの人が訪れるとのことです。
『坂田城跡』坂田城は、室町時代中頃のはじめに千葉一族の三谷氏が築城し、戦国時代に入って井田氏が代わって改修し、現在のような戦国時代城郭になりました。坂田城は文献等の資料の乏しい中世城郭では珍しく、江戸時代に残された古文書や絵図が伝わり、現在も空堀や土塁がよく残され、県内でも屈指の戦国時代城郭として、重要な遺跡とされます。昭和57年には千葉県教育委員会により、県内中世城郭調査の一環で坂田城跡も一部発掘調査され、報告書が刊行されました。戦国時代城郭の坂田城跡は、細長い台地を大きく3つに切り分けるように築城した直線連郭式の構造で、先端から主郭と馬出郭、二郭、 三郭が連なっています。当時は各郭には館が建っていたと思われ、平時は住いとして使われていたと思われます。各堀は箱薬研堀の形で、外側に向かって鍵形に出っ張った横矢掛が造られ、内側は高い土塁が築かれています。また北端の外堀は土塁と合わせて二重となり、大手口は食違木戸口になっていました。このように様々な防御機能を持った城郭は、戦国時代の特徴ともいえます。そのような城にふれあえるように、 平成9年3月に遊歩道を整備しました。主郭から二郭、三郭をまわると城の威容を見ることが できます。『坂田城と井田氏』坂田城を戦国時代城郭に改修した井田氏は、もとは九州の武士と言われ、はじめ小田原北条氏に仕官し、その後、北条傘下に入った元佐倉千葉氏の家臣になり、 芝山大台城に入りました。そこで戦略的に重要な坂田城を三谷氏から奪い、 南東房総へにらみを利かすことになったと思われます。しかし、天正18 (1590) 年の小田原攻めでは、巨大な勢力の前では抗することはできず、坂田城は廃城となりましたが、 そのまま残りました。井田氏はその後、徳川氏に仕官し、曲折を経て幕末まで水戸徳川氏に仕え、今日も続いています。【現地案内板より抜粋】曲輪の大半は藪に覆われ、外郭は農耕地の為、城跡遺構として隅々まで見ることは出来ませんが、主要箇所には看板が設置され、遊歩道も整備されている為、登城ルートと堀・土塁は体感できます。
名前 |
坂田城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0479-84-1215 |
住所 |
|
HP |
https://www.town.yokoshibahikari.chiba.jp/site/yokoshibahikari-navi/8715.html#7 |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

春には梅まつりがありにぎわいます。結構歩くので歩きやすい靴がおすすめです。