日本一の翡翠勾玉が魅力。
盛土山古墳の特徴
日本一の大きさ6.6cmの翡翠の勾玉が出土したスポットです。
弘田川と天霧山の間に位置する円墳があります。
小学校の遠足でも楽しめる良く保存された史跡です。
良く保存されている感じでした。
子どものとき(1983年前後あたり)、近所の友人と秘密基地を作って遊んだことがあります。草や適度に背の高い木がぼうぼうに生えていて、秘密基地づくりにうってつけでした。そのとき、ブドウを栽培していた形跡が残っていたのを明確に覚えています。この近辺のブドウ畑にある、コンクリート製の四角い形をした棒(杭?柱?)が地面に何本か刺さっていて、棒と棒を針金でつないでありました。今はすぐそばに農道が通っていますが、当時はそれもなく、ただ田んぼの中にこんもり小さい森のような丘がある…そんな風景でした。今現在は草も刈られ、古墳の形がきれいに見えるようになっていますが、たしか1990年代あたりか、ここにスズメバチか何だかの巣ができて刺されたからとかいうことで、そのおじさんが古墳に火をつけて焼いたそうです(焼いた跡だけは私は見た記憶があります。が、焼いた理由は父親から聞いたのですが、ウワサ程度の信憑性でお読みください)。いまは、たまに実家に帰ったとき、犬や子どもと散歩で行くことがありますが、自分が子どものころと大きく変わった懐かしの場所です。
日本一の大きさ6.6cmの翡翠の勾玉が出土した古墳です。もとは二重の周壕があったそうです。お餅を重ねたかわいい形状です。この白方の地は本来は白潟と書きます。日差しに白く輝くひろい干潟が弘田川河口周辺にあったようです。発掘調査記録がWEB上にあるので興味のある方は検索してみてください。
程良く手入れされている様です良いと思います☺
手入れされた古墳です。
弘田川と天霧山の間に、ある円墳です。大正4年(1914)に、ここから四神四獣鏡(しじんしじゅうきょう)、長さ7㎝の硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)、瑠璃勾玉(るりまがたま)、銅鈴、碧玉管玉(へきぎょくくだま)、玻璃小玉(はりこだま)、琺瑯丸玉(ほうろうまるたま)、瑪瑙丸玉、小玉、金環、刀などが出土しています。全国的にも類例を見ない逸品だといわれており、現在、東京博物館で保管されています。古代、白方には有力な豪族が住んでいたと思われます。 古代は弘田川河口部は、今よりも海が入り込み大きく内湾して入り江をなし、入り江奥部に「多度津港」があったと考えられています。桜川や金倉川の河口地域には古墳の見られません。弘田川下流域の港津機能を背景とした白方地域の優位性は、その後も続きます。 ここに眠る首長は、①首舶載三角縁四神四獣鏡が出土した西山古墳(消滅)や、②全長30mの前方後円墳である黒藤山4号墳、③48mの御産盟山古墳などの前期古墳の首長墓系列とは、いったん断絶している可能性が高いようですが、瀬戸内海の海上交通のひとつの拠点を押さえた人物であったことは確かです。同時に、同時期の古墳の規模等から見て、善通寺勢力の影響下にあったようです。
名前 |
盛土山古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0877-33-0700 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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小学校の遠足で行って楽しかったです。