源頼朝の蘇鉄が育むロマン。
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伝説なのか事実なのかはよく分かりませんが、鎌倉とも結びつきの強かった地域だけに、ロマンを感じる蘇鉄です。
名前 |
源頼朝 お手植えの蘇鉄 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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【源頼朝『お手植えの蘇鉄』】この蘇鉄は大正十五年五月に当時の株木更津銀行頭取露崎銀平氏が森家から譲り受け、奉納されたものである。森家は屋号を『相駒』と言い、君津市草牛の山中に在り、その山道を馬に乗り鹿野山まで登る人、又は下って来た人もこの家の前で休憩し馬同士が顔を合わせる所から、この場所を「相駒」というようになった。朝も、ここで兵馬の疲れを癒し、北上する際に森家にお礼として蘇鉄を植えたといわれる。また、頼朝と当社八劔八幡神社との関わりは深く、鎌倉幕府を創始した頼朝は保元、平治の乱で大敗した源家再興の為、治承四年(一一八〇年)八月安房国平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に渡り房総で浜を募った。時の豪族千葉常胤・上総介広常等の協力を仰ぎ、次々と関東の諸豪族を配下に収め平家討伐の根拠地とした。頼朝は、ここ木更津を通過の折り、当社に戦勝祈願に訪れ、その後神領を奉納したと伝えられる。この事蹟を知る露崎氏が代々大切に育ててきた森家の蘇鉄を譲り受け当社に奉納した。現在では立派な大樹となり『お手植えの蘇鉄』として多くの人に知られている。