歴史感じる合子神社の神秘。
合子神社の特徴
見事に管理された境内と歴史的建築が魅力の高松市の名所です。
祭神として譽田別命(応神天皇)を祀り、伝説が息づく神社となっています。
合子神社は、古代の律令制下の郷戸に由来し、長い歴史を持つ神社です。
よく管理されたきれいな神社です。御祭神は誉田和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)です。いわゆる八幡様です。
上佐山の東側に伸びた尾根の突端に有る社です。永享二年後花園天皇の御代、紫宸殿に怪鳥現れ宸襟を悩ましました。池田山城主王佐山城主、三谷弥七郎景明は天命により怪鳥射て兵庫の頭を賜った武人で王佐山山頂の城内に勧請し城の守神とし祀った。そのご三谷氏没落し天正の頃、神殿が破壊したので池田城主池田遠江守景光、宮司漆原佐内政所植田弥左衛門と高野原氏子合力にて修造した。その後四度改築が行われている。元々の池田八幡宮神殿は南向きに鎮座していたが神託により文化二年に池田合子八幡宮を現在の境内地に遷宮し東向きに神殿を建替え明治三十三年改築し現在に至る。社合の合子と云うのは康和年間、神櫛王の末裔、池田郷戸主凡直利満の一族多く池田郷に居住していたので、その祖神を祀り凡神社と唱えた。そのオフシがガフシと訛り合子の字をあてたものである。こちらの神社の御旅所に有った前方後円墳が以前は有ったのですが御旅所を造成した時に前方後円墳を完成に破壊してしまったことです。御旅所は違う場所に造れば良かったと考えます。一度失った遺跡は元に戻りませんから・・・!!!
昨年まで総代を努めていましたよ。
| 名前 |
合子神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%90%88%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
県道沿いの小高い丘の上にある合子神社石碑の由緒書きには 祭神;譽田別命(応神天皇)由緒;永享2年(1745年)後花園天皇の御代紫宸殿(ししんでん)=(京都御所にある内裏の正殿建築を指す)に怪鳥が現れ宸襟(しんきん)=(天皇や天子のお気持ち)を悩ました池田山城主王佐山城主、三谷弥七郎景明は天命により怪鳥射て兵庫頭((ひょうごのかみ)主に戦国時代の武将にみられる官職名や通称)を賜った武人で上佐山の山頂の城内に勧請し城の守神として祀った其の後三谷氏没落し、天正(1573~1592年)の頃神殿が破壊したので池田城主、池田遠江守景光宮司が漆原佐内政所(政所=まんどころ)植田弥左衛門、高野原氏子合力にて修造した其の後慶安4年(1651年)明暦2年(1656年)寛文3年(1663年)延宝5年(1677年)と再三改築した由である池田八幡宮神殿は南向き鎮座していたが神託により文化2年(1805年)池田合子八幡宮を現在の境内内地に遷宮し東向きに神殿を鎮座建て替えした後明治33年(1900年)改築し現在に至る境内地は往時(昔)社有地であったが明治初年国有地となり昭和24年再び社有地となった社号合子というは康和年間((こうわ年間)1099年∼1104年)神櫛王(かみくしおう)の後裔(こうえい=子孫)池田郷戸主(郷戸(ごうこ)」とは、古代の律令制下で、50戸が集まって構成されていた「里(郷)」を基盤とした行政単位)凡直利満の一族多く池田郷に居住していたので、その祖神を祀り凡神社と唱えた。そのオフシがガフシと訛り合子の字を充てたものであるとあります参道途中には天神社を合祀され、また綺麗に手入れされ気持ちの良い神社です本殿裏に駐車場もあります。