樹齢1200年の長命杉、極楽浄土へ。
第2番札所 極楽寺の特徴
四国八十八ヶ所の二番札所、朱塗りの山門が目を引くお寺です。
大師が植えた樹齢1200年の長命杉が境内に佇んでいます。
安産祈願で有名な阿弥陀如来像は指定重要文化財です。
とても素敵なお寺でした。本殿までしばらく歩きますがたくさんのお参り箇所があるます。お遍路とは関係なくお参りしても良い程素敵なお寺でした。
四国八十八ヵ所 2番札所 極楽寺 ごくらくじです。御朱印は、長命杉から南側の納経所でいただけました。参拝者専用駐車場は無料です。
2番のこちらも駐車場が真横!本堂は少し階段登ります。30段くらいかな?
二番札所、日照山 鎮静院 極楽寺。弘法大師がこの寺を開創した際に、人々の長寿を願って手植えされたと伝えられる巨大な杉の木は非常に力強い生命力の象徴であり、この杉に触れることで長寿のご利益を授かれるとされています。88か所の本尊はそれぞれ違います。極楽寺の本尊である阿弥陀如来は、特に安産阿弥陀として信仰されており、妊婦やその家族の参拝が多いようです。駐車場があります。
一番礼所の霊山寺から車で約3分の距離でどうせならと訪問しました。霊山寺と比べればこじんまりしております。こちらも駐車場が広く、停めやすいです。
極楽寺 四国八十八箇所二番札所高野山真言宗本尊 阿弥陀如来(伝弘法大師)開基 行基菩薩創建奈良時代(710〜793)極楽寺の歴史・由来行基菩薩の開基と伝えられているが、弘仁6年(815)、42歳の弘法大師がこの地で三七日間『阿弥陀経』を読誦し、修法された。その結願の日に、阿弥陀如来が出現したので、大師はその姿を彫造して本尊とされた。この阿弥陀如来像は、尊容が美しく、発する光は遠く鳴門の長原沖まで達したという。漁民たちは、漁の妨げになると本堂の前に人工の小山を築いて光を遮ったという故事から、「日照山」と号した。その後、天正年間(1573〜92)に長宗我部元親の兵火で焼失したが、万治2年(1659)、本堂は蜂須賀光隆公の援助によって再建されている。三方を山に囲まれた閑静な境内で、朱塗りの仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がる。44段ほどの石段をのぼった正面に本堂がある。その右手奥が大師堂で、この大師像は「安産大師」とも呼ばれている。大師が流産ばかりする夫人に加持祈祷したところ、即座に子宝に恵まれたという由縁によるもので、安産祈願に霊験があるとされている。弘法大師お手植えとされる「長命杉」は、樹齢1200年あまり、高さが約31メートル、周囲約6メートルもある霊木である。触れれば家内安全ばかりか、病気平癒、長寿も授かるといわれる。鳴門市の天然記念物に指定されている。千古の風雪に耐えてきた巨杉だけに、巡礼の折にはぜひ触れてみたい。以上八十八箇所霊場会より。
四国八十八ヶ所二番札所。車遍路で迷うことは全くない、霊山寺から2分。朱塗りの仁王門が出迎えてくれる。奥にある弘法大師御手植の長命杉を見て、お大師様が歩いた後の歴史をすべて見てきた杉なのだなぁ、と感慨に浸るのも良き。
二番札所一番札所の霊山寺から車では5分ぐらいです八番札所までは近場にあります駐車場はとても広く、公衆トイレがあります極楽浄土を思わせるような派手な色のお寺です手水場には花が浮かべられておりとてもキレイでした弘法大師が植えたと伝えられる樹齢1200年の長命杉があり、パワーが貰えます!
愛犬を連れて伺いました。第一番札所からは車で5分ほどで到着しました。境内には弘法大師が自ら植えたといわれる長命杉がそびえています。紅白の紐をつうじて霊気を頂くことができます。見事な長命杉でした。
| 名前 |
第2番札所 極楽寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
088-689-1112 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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2番札所の「照山 無量寿院 極楽寺(にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ)」にいきました。なんと弘法大師のお手植えの樹齢1200年あまり生き続けている大杉が感動です。高さが約31メートル、周囲約6メートル。以前は直接触ることが出来たそうですが、今は囲いが設けられててるので、手の届く根っこに触れさせて頂きました。極楽浄土をイメージした寺名を冠する庭園ですが、先日観た当麻寺の「浄土庭園」が素晴らしすぎて(笑)参道石段の前にある平成元年に寄進された大きな仏跡石(釈迦が石の上の説法をすると石に足形が残ったとされる)は、さすがに綺麗で見やすいものでした。本堂の右側に坐す「おもかる地蔵」は、持ち上げて重く感じると願いが叶うのは遠く、軽く感じると近いうちに叶うという仏さまでとっても重かったです(笑)案内の先達さんから、戻り掛けに仁王門近くの「願かけ地蔵尊」に「お詣りしなはれ。お地蔵さんの真言を唱え、自分も精進努力すれば不思議なご利益があるんやで」と勧められお詣りしました。極楽寺縁起四国第二番霊場。当寺は行基菩薩の開基と伝えられる。 後に弘法大師が巡錫(じゅんしゃく)の際、当寺に二十一日間にわたり、阿弥陀経を読誦し修法された。 その結願の日に阿弥陀如来がいずこからともなく現われ、大師におことばを賜ったという。 大師はそのお姿を忘れないうちにと、ただちに刃をとって、阿弥陀如来を刻みはじめ、旬日で完成させ当寺のご本尊としてお納めしたという。※本堂から44段の石段を上、斜面を削った収納庫に重文の阿弥陀如来坐像(秘仏)が安置されているそうです。像高84.0cmの寄木造りで、鎌倉時代の作とされています。当初は漆箔仕上げだったと考えられ腹前で定印を結び、結跏趺坐した穏やかな面立ちが特徴のようです。本堂内には前仏を安置。 向かって右脇陣には阿弥陀如来坐像、左脇陣には薬師如来を安置。 寺宝の地獄極楽図が堂内向かって左の壁に掛かっている。※ところが、後に、御本尊の後光が鳴門の長原沖まで達し、漁業に支障を与えた。漁民たちは悩んだ末にこの光をさえぎろうと本堂の前に小山を築いたところ、それからは大漁が続いたという。 「日照山」の山号もそれにちなんでつけられたと云われている。また、弘法大師が当山に留錫、「阿弥陀経」を二十一日間読誦された折、 難波の難産に悩む女性が、弘法大師のお加持によって無事安産した。 それでそのお礼にと木彫りの大師像を奉納し、以後安産祈願の本坊として多大な信者を集めたという。その後、天正年間(1573〜92)に長宗我部元親の兵火で焼失したが、万治2年(1659)、本堂は蜂須賀光隆公の援助によって再建されている。