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名前 |
大島城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
1.5 |
大島集落全体が城跡です。現在、城の北側を流れている桜川は、かつては城の東側を流れていました。いつ頃現在のり流路になったかはわかっていませんが、かつては北側の現在工場地のある台地から南に突出した地続きの舌状台地でした。城は北から1曲輪(主郭)・2曲輪・3曲輪と続く連郭式の縄張りであったと思われます。『筑波町史』(1989)によると、三カ所に土塁が残っていたようですが、北のaの土塁は現在確認できず、雷神社の裏手にあるbの土塁は花壇のような形で唯一残っています。かつてはこのaの土塁とbの土塁は南北に繋がっていたそうです。南端にあるcの土塁は墓地が上に建ってしまっており、土塁と言われないとそうは認識できないレベルのものになっています。2曲輪・3曲輪間のeの堀は、ほぼ埋められてわからなくなっていますが、主郭南側のdの堀は、低い畑(田?)となって、食違いになっているのがわかります。中央を走る道路はかつての土橋を利用されており、城郭内の道らしくクランクしています。築城主・時期はわかっていませんが、戦国最末期に佐竹氏の配下として真壁義幹が領地としているので、最終整備はその頃かと思われます。