歴史を感じる天佐自能和気神社!
天佐自能和氣(あめのさしのわけ)神社の特徴
日子刺肩別尊と倭国香媛を祀る神社で、歴史を感じられます。
大きな社の周辺で氏子が迎春準備を行っており、活気があります。
時代を超えた雰囲気漂う神社で、訪れる人を魅了します。
本殿後面に祠が20個近くあり、全数百年の歴史がありそう。
知る人ぞ知る、全国でも有名な神社、⛩️吉野川の河原の中から移設したのが現在の場所。一度行くことお勧めします。入り口の鳥居さんの右側に由来を書いてあります。
この辺では比較的大きな神社です。洋館のような本殿、元文年間の燈籠や嘉永年間の百度石など見どころ多数です。若宮神社も合祀されています。
時代を感じさせる場所です🙇
良い(原文)good
大きな社の周辺を掃除、氏子さんが迎春準備。
日子刺肩別尊(6代孝霊天皇皇子)と孝霊天皇妃 倭国香媛を祀る。
日子刺肩別尊(6代孝霊天皇皇子)と孝霊天皇妃 倭国香媛を祀る。
| 名前 |
天佐自能和氣(あめのさしのわけ)神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒770-0062 徳島県徳島市不動東町4丁目569 和気神社 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
天佐自能和気神社(あまさじのわけじんじゃ)。徳島県徳島市不動東町。式内社(小)、旧村社。【祭神】神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊(ひこさしかたわけのみこと)・意冨夜麻登玖遍阿禮比売命(オホヤマトクニアレヒメノミコト)資料によると、創祀年代は不詳。社伝によれば、その昔、鮎喰川(あくいがわ)の上流より流れ着き、ここに祀られたと伝えたという。鮎喰川上流の徳島市神山町高根の南西には高城山という山がある。御祭神は日子刺肩別尊。第7代孝霊天皇の皇子である。姉に夜麻登登母母曾毘売命、弟に大吉備津日子命がいる。『古事記』にしか見えない皇子で、高志之利波臣・豊前之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖とされている。当地よりも、北陸に縁がありそう。その後、その母である孝霊天皇の妃、意冨夜麻登玖邇阿礼比売命を勧請、奉斎し、さらに後に神皇産霊尊・高皇産霊尊を合祀した。意富夜麻登玖迩阿礼比売命の父は、和知津美命といい、第3代安寧天皇の第3皇子である師木津日子命の皇子。和知津美命が淡路御井宮(淡道之御井宮)に座したため、日子刺肩別命を淡路に近い、阿波の国高崎の地に奉斎したという。現在までに、当社御祭神は、高皇産霊尊・神皇産霊尊・意富夜麻登玖迩阿礼比売命・日子刺肩別命の順に記載されている。明治までは、現在地の北1kmほどの地に鎮座。現在は、吉野川の改修により川底になっている。『名神序頌』に「旧号を高木権現と云ふ 洪水ある毎に鼓聲祠中に鳴る。遠近之を聞くこと一の如し、乃ち横流の災なし、人心以て安んじ土人之を竜神と謂ふ」とある。明治32年(1899年)、未曾有の洪水があったが、氏子が一心に大神の加護を念じると、殿内から御神楽の音が高く聞こえ、たちまち水が治まったと伝わる。旧地は「光徳寺」と呼ばれ、実際に光徳寺という寺と並んで鎮座していたという。現在も、当社は「光徳寺さん」と呼ばれているという。吉野川改修のため、大正年間(1912年-1926年)に現在地に遷座。昭和44年(1969年)、火災に遭い、翌昭和45年(1970年)に再建された。これが現在の社殿。境内摂社に、若宮神社、金刀比羅神社、八阪神社がある。とあります。