義重公夫妻の歴史を探訪。
徳川館跡の伝新田義重の宝塔の特徴
徳川義季の館跡に位置し、新田義重の宝塔が存在する場所です。
菩提を弔うために建てられた新田義重夫妻の墓が点在しています。
武家の棟梁・源義家の孫、新田義重の歴史を感じることができます。
徳川義季の館跡にある、伝新田義重之墓で新田義重は徳川義季の父親で、菩提を弔うため建てたようです。
世良田東照宮から利根川の方へ歩いて18分位新田義重夫妻墓、平地の畑の中石はヒビ割れ崩れかかっている物も。wikiでは源頼朝挙兵の際に様子見をしたので、足利氏に比べ冷遇される元になったとか。発掘調査で出土した壺は大田市立新田荘歴史資料館に展示されています。
畑のど真ん中に新田氏の祖 義重公夫妻の墓と言われ石塔が並びます。ここからは火葬炭の入った壺が発掘されたそうで、その壺は新田荘歴史博物館に展示されていました。
源(新田)義重は武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の孫で、新田氏の祖。 新田義重は夫人と共にこの地にあった館で晩年を送り、古来よりこの一郭は義重夫妻の墓所と伝えられ、徳川幕府により特別に保護されてきたそうです。
| 名前 |
徳川館跡の伝新田義重の宝塔 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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義重公は粒々辛苦し、手塩にかけて築いた荘園を、長男義俊公に里見郷、二男義範公に山名郷、三男義兼公に本家新田氏、4男義季公には徳川郷をと、それぞれ分け与え、ここで夫婦して悠々自適の晩年を過ごし、やがて大往生を遂げたのだろうか…鼻をつくネギの香りの中で、からくも原形を留めている宝塔を目にして、ぼんやりと想像を巡らせる。案内板の末尾には、昭和の墓地整備の際に、宝塔の基礎の下などから人骨入りの陶器の壺が2個発見され、新田荘歴史資料館に…とある。🅿️なし。2025/9/14