吉崎道沿いの一字一石墳へ。
一字一石墳の特徴
明治時代の貴重な史跡である点が魅力的です。
歴史を感じられる空間が広がる場所です。
予想以上の発見ができるスポットとして人気です。
これまた、以外に明治のもの。
ゴルフ場の外にある石碑。
一字一石墳は県道29号線の裏側を通っている吉崎道沿いにあります。北は吉崎交差点、南は鴫谷山の切通しから行けます。吉崎交差点からのこぎり坂まではダートです。四輪でも行けますが、1台分の幅しかないです。(対向車とすれ違いできる場所は何箇所かあります。)
| 名前 |
一字一石墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
加賀市とあわら市の境に近い細呂木(ほそろぎ)峠付近にある史跡、一字一石墳(いちじいっせきふん)。名前だけ聞くと少々謎めいた雰囲気だが、これはいわゆる経塚の一種だ。経塚とは仏教経典を書写して地中に埋め、その上に碑を立てて供養するもので、一字一石経(いちじいっせききょう)はその名のとおり、経典を一文字ずつ小石に刻んで地中に納める特別な形態だ。一字一石墳が建立されたのは明治18年(1885年)9月。福井県の永田市兵衛という人物が、仏の恩に報いるという仏恩報謝の志をもって作り上げた。彼は浄土宗や浄土真宗で重んじられる『浄土三部経』と呼ばれる経典、『大無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』のすべての文字を、一字ずつ小石に彫りこんだ。それをすべて地中に埋め、その上に石碑を立てたのである。この経典が一体何文字になるのか詳しくは定かでないが、三部経をすべて小石に彫ったということから考えると、おそらく数百を超える石が使われたに違いない。一字彫るごとに念仏を唱え、心を込めて作られたこの経塚は、一般的な経典を紙に書写する以上に根気と深い信仰心を必要としたはずだ。石碑の側面には独特な文言が刻まれている。「布施無くて石に経文かくときは南無阿弥陀仏を唱えよ」。この言葉は経典を書写する際の戒めと同時に、念仏を唱える重要性を示したものであり、一字一石墳の信仰的な特徴をよく表している。隣には小さな祠があり、そこには聖徳太子の16歳の姿を刻んだ石像が安置されていることも見逃せないポイントだ。ではなぜ、この峠の地が選ばれたのか。それを考えるうえで興味深いのが、周辺に点在する歴史遺産だ。この場所は旧北国街道の重要な要衝、細呂木峠にあたり、かつては加賀国と越前国を結ぶ交通の要衝だった。慶長6年(1601年)には、徳川家康の次男である結城秀康が越前側に細呂木関所を設け、北陸道を行き来する人々の往来を管理した歴史がある。この関所跡は今でも史跡として残り、往時の面影を感じることができる場所だ。さらに、この地域一帯は「蓮如の里」と呼ばれるほど、蓮如上人にゆかりの深い地域でもある。文明3年(1471年)、蓮如が拠点として築いた「吉崎御坊跡」(よしざきごぼうあと)が近くにあり、現在は国指定史跡として整備されている。吉崎御坊は北陸の浄土真宗信仰の重要な拠点として栄え、その影響は江戸時代以降も長く続いた。一字一石墳の建立も、このような浄土真宗や念仏信仰が息づく地域風土が背景にあったことは容易に推察できる。自然面でも特徴的な環境に囲まれている。近隣には「鹿島の森」という常緑樹林が広がり、昭和13年(1938年)には国の天然記念物に指定された。海に近い立地ながら山林が保存されており、史跡を訪れると同時に自然豊かな景観を味わうことができる貴重なエリアだ。こうしてみると、一字一石墳はただの経塚という以上の深みを持った史跡だということがよく分かる。仏教信仰、交通史、地域史、自然環境、それらが絶妙に絡み合いながら、この峠に佇む碑が歴史を静かに語っている。塚そのものの規模は大きくないが、周囲の史跡や歴史的背景を知れば知るほど、その存在感は増してくる。この一字一石墳という小さな塚を訪れるならば、ぜひ吉崎御坊跡や細呂木関所跡、鹿島の森にも目を向けることをおすすめしたい。地域の歴史が集約された場所として、その価値は決して小さくない。派手な演出など一切なく、ただ静かに過去を物語る。そんな味わい深い史跡が、一字一石墳だ。