越前と加賀をつなぐ名号塔。
お国境名号塔の特徴
歴史上の著名人が通った旧北陸道沿いに位置しています。
越前と加賀の境目にひっそりと立つ名号塔です。
未舗装の道が続くため、徒歩での訪問をおすすめします。
源義経 豊臣秀吉 松尾芭蕉… 歴史上の多くの著名人が通ったであろう北陸街道、良い状態で残っています未舗装の道で倒木やぬかるんでいる可能性があるため、徒歩で訪れる事をオススメします。福井県石川県、双方に車を停められるスペースがあり、石川県側からの方が国境までの距離が短いと思います。
旧北陸道沿いの福井県あわら市と石川県加賀市の県境付近にある、旅人の無事を祈る名号塔です。あわら市側の太陽光発電所辺りから加賀市側のゴルフ場辺りまで未舗装ですが、4輪自動車で行けます。1台分の道幅しかないので、すれ違いの時は注意してください。雨の後は泥でグチャグチャになっているので汚れますし、たまに草木がボーボーで4輪では通れないこともあります。2回(徒歩と車)行きましたが、誰とも出会いませんでした。昔は人で賑わっていたのでしょうね。
| 名前 |
お国境名号塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
越前と加賀の境目、旧北陸道の細呂木地区にひっそりと立つ「お国境名号塔(おくにざかいみょうごうとう)」。ただの古びた石塔に見えるかもしれないが、実は江戸時代の旅人の祈りや願いを今に伝える貴重な史跡だ。この石塔は、江戸時代の弘化2年(1845)に建立されたもので、「南無阿弥陀仏」という浄土真宗の六字名号が刻まれている。もともとは加賀から越前に入る旅人の疲れを癒やし、安全を祈るために建てられたものらしい。当時の旅路は今とは比べものにならないほど厳しく、特に峠道では旅人が病や怪我で命を落とすことも珍しくなかったという。そう考えると、この石碑が立てられた理由にも納得がいく。実際、この場所は江戸時代以前から難所として知られ、旧北陸道の「のこぎり坂」と呼ばれる険しい坂道があった。当時の参勤交代で加賀藩の大名行列も頻繁に通り、峠道の難所はやがて「祝言坂(しゅうげんざか)」として整備され、旅人たちの安全を願うためにも、こうした名号塔が各地で建てられたという。さらに歴史を遡ると、この道は室町時代から戦国時代にかけて、浄土真宗の信仰が盛んな吉崎御坊(よしざきごぼう)へと続く重要な参詣道だった。越前と加賀の境目でもあり、加賀一向一揆や蓮如(れんにょ)上人の吉崎参詣、親鸞(しんらん)聖人の流罪経路としても伝わっている由緒ある道だ。特に蓮如は文明3年(1471)に吉崎へ向かう際にこの道を使ったとされ、宗教的にも歴史的にも重要なスポットであることがわかる。ちなみに、源義経や松尾芭蕉もこの道を通ったという話があるほど、歴史的著名人の往来が多かった。「お国境名号塔」近くには同じ目的で建てられた「往来安全の名号塔」も現存しており、この二つの塔が旅人の安全祈願の象徴として、当時からセットで存在していたという。また、塔のそばには江戸初期、慶長6年(1601)に福井藩初代藩主・結城秀康(ゆうきひでやす)が設置した細呂木関所(ほそろぎせきしょ)の跡地がある。関所は越前国側の玄関口を守るために設けられ、この場所が交通の要衝だったことを示す証拠でもある。一方で、この地には面白い伝説も残されている。すぐ近くに「嫁威谷(よめおどしだに)」という谷があり、そこには江戸時代に実際に起こったとされる嫁姑の物語が伝わる。昔、浄土真宗を深く信仰する嫁が吉崎参りに熱心なあまり家事をおろそかにするのを見て、困った姑が鬼の面を被って嫁を脅した。しかし嫁は恐れることなく念仏を唱え続け、それを見た姑がついに感化されて信仰に入ったという話だ。浄土真宗の強い信仰心を伝えるこの伝説は、この土地の宗教的風土を象徴する興味深い逸話として今なお地元に伝えられている。この塔の周辺には、江戸時代の交通史を語る遺跡が多く点在している。「国境一里塚跡」も復元されており、当時の街道整備や道標の役割をリアルに感じられる。また細呂木宿(ほそろぎじゅく)付近には春日神社など江戸期に遡る史跡も多く、名号塔だけでなく周辺の歴史景観と合わせて訪れると、かつての旅人の視点が追体験できる。このように「お国境名号塔」は単なる石碑ではなく、江戸期の交通史・信仰・生活の苦難や願いが凝縮された存在だ。峠の静かな山道にひっそり佇むこの塔の前に立つと、遠い昔の旅人たちの息遣いや祈りが今も聞こえてきそうな気がする。歴史を感じさせる小さな史跡だが、当時の旅の厳しさや人々の切実な願いを鮮やかに伝える貴重な文化財として、これからも後世に大切に伝えていきたい史跡だと思う。