免鳥城跡で地元の温かさを体感。
免鳥城趾の特徴
免鳥城跡は大永5年に築城された歴史的な場所です。
末裔の方が親切に案内してくれるサービスが魅力的です。
免鳥町の住みやすさが口コミでも高く評価されています。
駐車場はなく、石碑だけ写真におさめるだけの短時間だったので、石碑の近所に路駐したら、たまたま通りかかった地元の方と思われる男性が、手に持っていた農作業の道具をどさっと下ろして近づいてこられたので、てっきり路駐を咎められるのかと思いきや、明るい声で"お城巡りの方ですか?"と声掛けされました。この方、近所にお住まいで免鳥城のことに詳しくて、その場で観光ガイドしてくださいました。30年ほど前まで、石碑の場所は竹薮で古井戸の跡もあったこと。元々は内堀、外堀の二重だったこと。今もその痕跡は残っていて、石碑の近くの公民館脇の用水路が内堀で、ぐるっと南へ回り込んで、この石碑の通りを越えたら、道になっているとのことなどで、その場所まで連れていってくれてお話してもらえました。確かにGoogle Mapの航空写真でも、外堀が道、内堀が水路と重なっているようで、おぼろげながら当時の縄張りが想像できます。元々の堀の幅は鉄板焼き屋さんの駐車場脇の用水路が北に道となって伸びており、この道幅ぐらいはあったようです。さらにお話だけではなく、土地の免鳥城に詳しい方が昭和46年に書いた、城の資料まで見せてくださって、この土地が元々は免鳥ではなく、このお城の娘を佐野氏が妻に迎えた、つまり娶りから来た娶り城という名前だったことや、資料の巻末に載せられた、城の推定復原図も使って、教えてくださり、大変勉強になりました。
2020/8/17遺構はほぼないようだが、立派な案内板がある。佐野氏と長尾氏が奪い合った境目の城だが、今となっては普通の街並みとなっている。
それなりに歴史的に重要な出来事があった城だが、石碑と説明のみ。ただ周囲の道は当時の縄張を反映してそう。
免鳥(めんどり)城跡の築城は、大永5年(1525)佐野小太郎盛綱のときに免鳥山城守義昌によるとされます。足利市との境に近いこともあり、戦国時代には、佐野氏と敵対関係であった足利長尾氏との攻防の拠点となりました。足利方への備えとしての役割を担ってきた佐野氏の支城です。その後、佐野家の改易とともに廃城となりましたが、唐沢山城と関係の深い城跡です。(佐野市ホームページより)現在は遺構とはっきりわかるようなものは見当たりませんが道路や水路は往時の縄張りの名残りを感じさせます。
末裔の方が親切に案内して説明してくれて有り難かったです。東の道はかつての堀だったそうです。立派な石碑は末裔の方が建てたとのこと、その上には城内に、あった古い石塔が置かれています。
| 名前 |
免鳥城趾 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.sano.lg.jp/soshikiichiran/kyouiku/bunkazaika/gyomuannai/3/4868.html |
| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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免鳥町は住みやすくて、サイコー!!