昭和の門、友部分遣隊の歴史。
筑波海軍航空隊旧正門の特徴
昭和9年に設立された歴史的な正門である。
筑波海軍航空隊の貴重な遺構を実際に触れられる。
かつての重要な基地の名残を感じられる場所である。
昭和9年に「霞ヶ浦海軍航空隊友部分遺隊」として開隊した当時を偲ぶことができる門です。実は「大空のサムライ」こと、第二次世界大戦の撃墜王(エース)である坂井三郎氏が、初めて飛行体験をしたのが、この友部の空なのです。昭和12年にそれまで砲術畑にいた坂井氏は念願かない、霞ヶ浦海軍航空隊に入隊します。当時の霞空は水上班と陸上班に別れており、水上班は霞ヶ浦での訓練、坂井氏は陸上班(友部分遺隊)に配属されました。後に水上班は土浦海軍航空隊(昭和15年)に、陸上班は筑波海軍航空隊(昭和13年)にそれぞれ独立します。以下、坂井三郎著「大空のサムライ」から一部を抜粋します。~私たちは、ここで初歩練習機の教程を受けることになったのである。トラックに分乗して、私たちは友部分遺隊の隊門をはいった。飛行場のあるところは、たいてい田舎と相場がきまっているが、友部分遺隊もその例にもれない。兵舎は広々とした麦畑に建てられた寒々とした数棟のバラックだった。~坂井氏は3ヶ月ほど初歩練習機の教程に勤しみ、こののち霞ヶ浦海軍航空隊を首席で卒業されます。「パイロットに天才なし」とは坂井氏の言葉ですが、この上空は、まさしく「大空のサムライ」の原点です。撃墜王サブロー・サカイがどれほど凄いのか、ぜひ一読をオススメします(私が強調したいのは、坂井氏の不撓不屈の精神)。われら日本人が世界に誇れる人物です。(追記)友部分遺隊の前は、農本主義者加藤完治が校長をつとめる私塾「日本国民高等学校」がありました(昭和2年)。その第1回生に、宮沢賢治の弟子といわれる松田甚次郎がいます。師宮沢賢治の化身といわれるその生涯もぜひ心に留めて欲しいです。内原にある日本農業実践学園は後身になります。
Colunas restantes do que um dia foi uma das entradas de uma grande e importante base militar que existiu no local…Me parece que esse era o portão principal para pedestres já que provavelmente o outro portão era usado para veículos, restaram as ruínas das duas colunas e que ainda hoje é usado como entrada dos fundos do local.Eu gosto muito e acho muito interessante ver e poder tocar lugares e objetos históricos pessoalmente.
『筑波海軍航空隊記念館』のリーフレットには「友部分遣隊時代は、こちらが正門でした。今でも当時の門柱のまま敷地跡の裏門として使われています。」と記されている。2021年11月1日(月)に笠間市友部地区の街歩きで訪れた。
| 名前 |
筑波海軍航空隊旧正門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0296-73-5777 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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基地が設立された昭和9年当初は正門でしたが、筑波海軍航空隊が独立した昭和13年以降は裏門として使われたそうです。現在は門柱だけが当時のものとして残されています。