畠山重忠公に敬意を込めて。
畠山重忠公遺烈碑の特徴
二俣川駅から約20分、歴史を感じる散策路です。
畠山重忠軍と北条軍の激戦地を訪れられます。
教科書で学んだ名将の碑がここにあります。
地域の方を中心に大事にされているようです。
こちらは2025年05月13日の訪問となります。若干面白い場所に建ってますね。鎌倉時代の名将さん、畠山重忠氏の鎮魂を願い建てられた碑です。優秀だった故に北条氏に警戒され、謀反の疑いをかけられここ二俣川に散った彼。彼に所縁の深い二俣川付近には彼に対する史跡が複数残されています。こちら、明治25年に有志57人によって建てられたそうです。この場所はかつて牧が原と言われていましたが、北条勢数万騎がこの辺りに陣を構えたことから”万騎が原”になったと伝えられているそうです。
鎌倉時代の坂東武者の雄、畠山重忠公の遺烈碑がここにあります。関連遺跡は旭市役所付近に多いイメージですが、この辺りに魂が彷徨しているのを鎮めるために遺烈碑を建てたとのことです。普段何気に車でよく通っていた道だったので驚きました。よくお詣りしてまいりました♪
なぜこの場所に遺烈碑・地蔵尊が?と思い少し調べたところ…「ここに畠山重忠公の彷徨している魂を鎮めんがために遺烈碑を建てる(明治25年)」「万騎が原団地建設の際に多くの人骨が出たので、二俣川合戦の畠山重忠軍の遺骨であろうと塚を立て地蔵を祀った(昭和34年)」との記述が見つかった。果たしてほんとうに畠山勢百三十余騎(総兵力五百程度?)の遺骨なのか?二俣川の合戦の戦場は実際には現・鶴ヶ峰駅西の帷子川あたりであり、重忠公以下が討ち死にしたのも厚木街道と国道16号が交わる付近。もしかしてその人骨は、牧が原(のち万騎が原)に陣を張った北条勢の葬られた戦死者だったのでは、と内心思いつつも遠い古の場景を想い描き、お地蔵様に合掌してきた。
横浜市旭区は畠山重忠公を郷土の誇りとして大切にしています。区のシンボルマークでも、現在活躍しています。ここ数年、畠山重忠公遺烈碑はポケモンGOのトレーナーさん達のあつまる場所でしたが、週末には県外ナンバーの車がチラホラやってきています。旭区民的には、誇らしいことです。
二俣川駅から体感ですが、20分位歩いたように思います。ここは、抜け道沿いにあるので、車で来るのはおすすめ出来ません。公共機関を利用するのがお勧めです。車通りがあるにも関わらず、敷地内に足を踏み入れると、独特な空間でした。(個人の感想です)鎌倉殿の十三人のお陰でしょうか、他にも数名訪れていました。かくいう私も、昔から知っている場所ですが、大河ドラマのお陰でこの場所がどんな所なのか知りました。
TVのおかげでもっと周知になることはいいことなのかも知れませんが、敬う気持ちは忘れずに。
ここの日陰で休ませてもらいました。ありがとうございます。
ここのお店の人優しく動きが早いです。また行きます‼️
| 名前 |
畠山重忠公遺烈碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
045-954-6095 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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住宅地にある立派な史跡です。畠山重忠は鎌倉時代に活躍した武将で幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝にたいへん信頼されていたそうです。 平氏全盛の時代に現在の埼玉県深谷市畠山で生まれ、嵐山町に屋敷を構えていたそうです。重忠は源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したといわれています。 しかし、幕府の権力争いにまきこまれて鎌倉に向かう途中に鶴ケ峰付近で討ち死にしましたそうです。地元の人たちはその人柄をしのび、800年以上たった今も語り継いできました。旭区内には重忠ゆかりの史跡がたくさん残っています。 また六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催されているみたいです(ΦωΦ)