黒田官兵衛ゆかりの志知城跡。
志知城跡の特徴
志知城跡の水堀は非常に良好に残っています。
鎌倉時代初めの歴史的な遺構として価値があります。
周辺には土塁残欠も見られ、歴史を感じるスポットです。
黒田官兵衛や加藤嘉明の居城であった志知城跡。マルナカの買い物の後訪れました。まさに城跡にふさわしい歴史を感じる場所です。お城好きにはたまりません。
スーパーマルナカの向かい側、奥にあります。公道側に遊具などもあり、お子様連れで散策に訪れるのもいいです。
お城巡り初心者でも堀の跡がわかります。専用の駐車場もあり訪れやすいです。陸の港西淡では志知城のイラストが付属された御城印が購入できるのでそちらを手にしてから訪れるのがおすすめです。
おもしろかったです。蚊に刺されたり、ぬかるんでたり。川から濠を巡らし、官兵衛を想い。地域の人達に感謝です♪ありがとうございます。
鎌倉時代ごろにはあり、秀吉の四国攻めの折には黒田官兵衛が拠点を置いたそうです。秀吉が座ったとされる太閤石がありました。
隣のスーパーの敷地内に外堀跡が残ってます。さて、どこでしょうか。「橋を渡ると、そこは…。」
まず、行き方が分かりにくいです。お寺さんのところで左折し、細い道を奥に行きます。城跡は荒れており、見どころには乏しいのですが、陸の港西淡に近いことから、この地域が今も昔も交通の要衝であることを伝えてくれています。
水堀がしっかり残っています。
鎌倉時代の初め、菅和泉守道忠によって築かれたと言われています。南北朝動乱のとき、武士集団が志知城から京都へ出陣したと太平記に記されています。羽柴秀吉による淡路攻略により開城したあと黒田孝高があずかり、天正13年より後の加藤嘉明が城主として入城しました。加藤嘉明が伊予に転封のあと、叶堂に新城を築き、志知城は廃城となりました。現在は本丸周囲に水堀が残っています。
| 名前 |
志知城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この志知(しち)城跡は、兵庫県南あわじ市志知松本に位置します。ここは、県道31 号線と県道477 号線が交わる南東側にあり、マルナカ南あわじ店側から行くと、たやすく行くことが出来る!?現在、大日川沿いにある城跡は、周りが沼(堀跡)で、入口が分からないので、少し苦労するかも知れない!?平城であり、現在は遺構は郭と堀跡が残つている!?本丸跡に二の丸跡があるが、本丸跡は竹林になつている。この城の築城時期は、鎌倉時代初期で城主は菅(野口氏)氏で、南北朝時代は、足利尊氏配下の管領である淡路国守細川師氏の配下でいたが、天正9年(1581年)に織田信長軍により落城する!当初は黒田官兵衛がいたが、天正13 年(1585年)に加藤嘉治が15000石で入り、城跡を改修する。文禄4年(1595年)に加藤氏は伊予松前に6万石で転封する。加藤氏はその後まもなく伊予松山藩20万石に出世している!?この後は、豊臣政権下で、石川紀伊守光之を代官に置くが、石川氏は近くの三原川沿いに水軍基地として、叶堂城を築城する!しかし、直ぐに関ケ原合戦があり、西軍であつた石川氏は敗れ廃城となる!?