卯辰山の偉人、心泉の石碑!
北方心泉の碑の特徴
金沢市の卯辰山公園の山頂近くに位置します。
書家の偉人にちなむ北方心泉の立派な石碑です。
ひっそりと佇む静かな雰囲気が魅力的です。
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卯辰山望湖台付近にひっそりと立つ石碑北方心泉は書家で郷土の偉人。
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| 名前 |
北方心泉の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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金沢市の卯辰山公園の山頂近くに、ひときわ目を引く立派な石碑がある。これが「北方心泉(きたがた しんせん)の碑」だ。この碑は堂々とした自然石に「麟鳳亀龍(りんぽうきりゅう)」という四文字が彫られている。麒麟、鳳凰、亀、龍という古来の霊獣を指し、平和な世に現れるとされるめでたい存在を表しているそうだ。これはまさに、碑が讃える人物・北方心泉の傑出した人柄を象徴する言葉だろう。北方心泉は嘉永3年(1850年)に金沢で生まれ、明治38年(1905年)に55歳で没した真宗大谷派の僧侶だ。彼は若くして金沢市小将町にある浄土真宗の常福寺の住職となり、寺務を果たしながら書の世界にも深く没頭していった。心泉は彼の雅号であり、本名は蒙(きざし)というが、ほかにも「月荘」「小雨」「雲迸」「文学禅室主人」「聴松閣主人」と、多彩な名を使い分ける自由な文化人でもあった。心泉が書道界に名を馳せたきっかけは、中国への渡航だった。明治10年(1877年)に東本願寺の布教使節として清国に渡り、現地の書道家たちと交流を深めた。中国の古碑を精力的に研究し、「北碑」と呼ばれる書法を習得。その成果が、日本に戻ってから彼独自の書風、「篆草合体」と呼ばれる自由奔放な作風へと昇華したという。明治32年(1899年)にも再び渡中し、南京に金陵東文学堂という教育施設を創設。文化交流にも尽力した人物だった。心泉は自らを「詩僧」と称するほど文学にも親しみ、詩や漢詩、晩年には俳句まで手がけた。書道と文学の融合を目指し、単なる技術ではなく精神性を込めた作品を生み出していった。酒を愛し、酒に酔った勢いで書を楽しむ豪放な性格でも知られていたそうだ。晩年には病で右手が動かなくなったにも関わらず、左手を使ってまで書き続けたという逸話もあり、その書道への熱情には感服するばかりだ。北方心泉の碑が卯辰山に建てられたのは昭和37年(1962年)。地元の書道愛好家や歴史家らが中心となり、心泉の没後50年以上が経った時代に彼の偉業を顕彰しようという想いから実現したものだという。碑文の四文字は中国古典の『礼記』に由来し、四霊獣が同時に現れる平和で豊かな世を意味し、心泉という人物を後世に伝えるにふさわしい言葉として選ばれたようだ。卯辰山公園には、この碑以外にもさまざまな史跡や記念碑があり、文化探訪にも最適なスポットだ。山の中腹には松尾芭蕉が訪れた際の記念碑や、明治初期に長崎浦上から送られたキリシタン信徒を慰霊する碑など、多彩な歴史が刻まれている。相撲の全国大会が開かれる相撲場もあり、「心・技・体」を刻んだ碑も興味深い。また、心泉ゆかりのスポットとして、金沢市小将町の常福寺を訪れるのもおすすめだ。こちらには心泉の筆による書碑や遺品を展示した記念館もあり、彼の書をより深く味わえる。金沢の誇る明治の「書聖」、北方心泉。卯辰山の自然と一体となったこの碑は、彼の精神を今なお語り継ぐ存在として、訪れる者に静かな感動を与えてくれる。