210mの歴史、鍵穴の古墳探訪。
西陵古墳の特徴
南海電車の真横に位置する、規模の大きな前方後円墳です。
紀小弓の息子、紀大磐宿禰の陵墓がある歴史的スポットです。
うっそうと繁る木々に囲まれた神秘的な雰囲気が漂います。
古代の鍵穴の墓石のための人里離れた道。道には毒ヘビがいるので、安全のためにこの場所をハイキングするときはブーツを履かなければなりません。(原文)Off the beaten path for ancient keyhole tombstone. Have poisonous snakes on path so must wear boots when hiking this place for safety.
人は居ません。駐車場は無さそうです。整備状態は普通。冬場なら中を歩けます。
5世紀前半の築造と思われる墳丘長210メートルで全国でも有数の規模の前方後円墳です。墳丘内に立入り可能です。旧26号、岬高校下ウェルシアから西に新しい道路が開通しており、下った所に、石碑と、古墳内に入れる通路(堤)があります。堤を進めば古墳内に入る門があります。古墳内はロープで通路を確保していますが、ロープがちぎれていたりしています。内部に入ると三段築成で墳頂部分がよくわかります。前方墳頂部分と後円部分の高さか均等のように感じました。後円墳頂部付近で、葺石らしきものがあり、円筒埴輪片が落ちていました。淡輪技法の埴輪片なんでしょうか…。古墳の西側、南海本線を渡った所に、西陵古墳の陪冢が2箇所あります。 追記 大阪府の最南端の古墳群なので、一日かけて、ゆったりのんびり散策するのもいいかもしれないです。古墳だけやなくて、キレイな海もありますし。癒やされますよー。
うっそうと繁る木々、まわりにたまった水、南海電車から見ることができるスケールの大きな古墳です。草木が繁っていて、外周に沿って歩くことはできませんでした。史跡西陵古墳と書かれた碑と説明が書かれた看板の所から古墳の方に歩くと、中に入る(古墳に上陸する)ことができました。木の橋を渡り、小高い場所まで、さながらハイキングのようでした。道の手入れがされていて、また、ロープがはられているのですごく助かりました。登っても木が繁っているので景色は良くないです。暖かい季節は虫除けが必要だと思います。道に案内が出ていないので、なかなか古墳に近づけませんでした。紀州街道からは、エサ・つり具つり師と看板のあるお店の前の交差点を古墳の方に曲がると良いです。道路工事のシャベルと盛り土が碑と看板を隠しているのでだいぶわかりにくくなっています。また、工事の道を横切らないと近づけないので、工事中は近づけないかもしれません。*2019年5月3日、淡輪駅で降りてみさき公園駅まで、歩いて岬町の淡輪古墳巡りをしてみました。案内の看板がたっているのはまだましで、太陽光発電のソーラーパネルに変わっていたり、工事車両や資材置き場になっていたり、燦々たるありさまでした。全般的に手入れがほとんどされておらず、古墳が町に大切にされていないのがよくわかりました。宇土墓古墳…○淡輪遺跡…畑鴻ノ巣古墳…民家西小山陵古墳…太陽光発電西陵古墳…○真鍋山古墳…工事車両・資材置き場。
南海電車の真横にあるのに気付かない古墳。
形状は前方後円墳。淡輪古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。名称は「西二山在古墳(にしにさんざいこふん)」とも。淡輪古墳群では最大、全国では第28位の規模の古墳で、5世紀前半頃の築造とされる。大阪府の最南端、大阪湾に面した台地上に位置する巨大前方後円墳である。800メートルほど東にある淡輪ニサンザイ古墳(五十瓊敷入彦命墓、墳丘長170メートル)、および淡輪ニサンザイ・西陵の中間にあった西小山古墳(円墳、非現存)などとともに淡輪古墳群を形成する。別称の「二山在(にさんざい)」は「ミササギ(陵)」の転訛。丘陵末端を利用して築造された前方後円墳で、前方部を北東方に向ける。墳丘は3段築成で、墳丘長は約210メートルを測る。外部施設として、墳丘西側のくびれ部には方形の造出が設けられたほか、墳丘表面は葺石で覆われ、加えて円筒埴輪・朝顔形埴輪や、蓋形・盾形・短甲形・家形埴輪といった器材埴輪が並べられていた。墳丘周囲には幅15-35メートルの周濠が巡らされているが、周濠の元々の形は明らかでない。また周濠外側には陪塚3基の存在が知られる(うち1基は消滅)。古墳の西側は外周から繋がっており内部に入ることができる。
全長210メートルの堂々たる前方後円墳。築造時期は5世紀中頃。以下、岬町観光協会Webページより抜粋。「日本書紀に雄略天皇の命により新羅出兵中病死した紀小弓宿称(きのおゆみのすくね)が「田身輪邑(たむのわのむら)」に葬られたちあることから紀小弓の墓と伝えられています。」なんか、昔の人も大変だったんだね。雄略天皇ってホント怖そうだし・・。
「淡輪村の西南に古い墓がある。南西にもあり、各方一町ばかり。池を巡らし貯水し俗に”日の陵”という。」by泉州志紀小弓の息子、紀大磐宿禰の陵墓 五世紀後半 長210m 陪塚二つ。この”淡輪”の土地は紀氏の軍事用地であったらしいが、詳細不明。西陵古墳は一部周壕が潰されて、残念な保存状態にある。「487年紀生磐宿禰、任那に拠って三韓の王たらんとし、神聖と称する。」by書紀。
名前 |
西陵古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-492-2715 |
住所 |
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HP |
http://www.town.misaki.osaka.jp/kyouiku/shougai/bunkazai/1470.html |
評価 |
3.7 |
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