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名前 |
尾崎放哉の碑林 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
鳥取市内の町並みや街角、神社仏閣、公共施設、公園など主な場所に(放哉の句碑)が著名な書道家による表現で新たな生命が吹き込まれて建っています。句碑は全部で百以上あります。鳥取市西町(わらべ館)智頭街道側の🅿️の一画にも「放哉碑林」と句碑の100以上の中の1つ(山に登れば 淋しい村がみんな見える)が鑑賞できます。尾崎放哉は本名尾崎秀雄、明治18年(1885年)1月鳥取市吉方町で生まれました。近くは源太夫山が聳えています。晩年は放浪生活で寺男として香川県、小豆島の西光院・南郷庵(みなんごあん)にたどり着き、翌年大正15年(1926年)4月41歳の生涯でした。亡くなる3年間各地を転々として自らの命を削りながら句を呟きました。(山に登れば~)の句の中の山がどこの山のことなのかはわかりませんが、ひょっとしたら死に臨んだ小豆島にて故郷の源太夫山を懐かしく思い起こし、小さな頃の鳥取で遊んだ事が頭をよぎったのかも。そうだとしたら淋しい放哉が少しは更に暖かい気持ちで死に臨めたかなとホットした気持ちになりました。鳥取市内を散策する楽しみの1つは(放哉の句碑)を通して尾崎放哉自身と出会う事なのです。臨終の地、小豆島・土庄町には尾崎放哉記念館と墓所があります。鳥取市興禅寺は尾崎家の菩提寺で放哉の歌碑が境内の樹木の下に建てられています。